KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

むすんでひらいて

長男から聞いた。
やんちゃな同級生らがいるという。

学校で弱い者を小突き回すだけでは足らず、夜もたむろし、悪口雑言で人を罵り、何か面白いことはないかと日ごと悪事を企み、暇つぶしに銀玉鉄砲で主婦を狙い撃ちにし、ギャーと自転車で逃走する。

集団鉄砲の話を痛快そうに長男が話すので諌めた。

全く面白いことではない。
おばさんは、一日の重労働を終えぐったりお家へ帰るところである。
突如、夜陰から奇声が起こり、何かが命中してカラダに当たる。
痛いのかどうかさえ分からない。

凄まじい恐怖に違いない。
笑うところなどどこにもない。

本人らも自覚せぬまま、何をしでかすか分からないような連中である。
油断禁物。
心許すなどあってはならない。

以前、友達の手足をひもで縛った上でタイヤのホイールをくくり付け、冗談で背中を蹴ると海に沈んで浮かんでこなかった、という唖然とするような傷害致死事件があったが、そのような連中は、何がどうなるのかその先が見えず分からず面白半分な気分のまま取り返しのつかないことを仕出かしてしまう。
制御失い、皆が皆で足を引っ張り合いどこまでも沈んでゆく、それが楽しく可笑しくやめられないというグループは、そこらにいくらでも存在しているのだ。

「おもり」と「うきわ」という喩えが分かりやすいだろうか。

関われば関わる程、足を引っ張られ、努力が消され水の泡となり、星の巡りがどんどん悪くなってゆくという人間関係がある一方、暖かな日だまりのような人物らで構成され、良き縁が良き縁を運び合い、新たな始まりがどんどん書き加えられ、何もかもが好転してゆくような人間関係もある。

私なんて、ちっぽけな人間だけれど、「うきわ」の連鎖で何とかハフハフ生き延びられているようなものである。
本当に数えきれないほどの「うきわ」の恩恵にあずかってきた。
ファルメディコの狭間社長や田中内科クリニックの田中院長、星光の同級生にも助けられてきた。
面と向かって口にする事は絶対にないだろうから、この場で感謝しておくことにする。

もし、荒んだ人間関係しか過去になく、「おもり」括られる立場だったら、浮かぶ瀬のない荒廃しきった人生だったかもしれない。

この荒波、「うきわ」なくして渡りきれるものではない。
「おもり」が「うきわ」になったり、その逆が起こったり、有為転変の人の世だが、自分の置かれた人間関係の浮沈のベクトルについては、よくよく注意を払った方がいいだろう。