KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

おれらはちゃんとしとこう

強きを助け弱きを挫く、まだまだ男らしさの途上にある長男であるが、下らない悪戯癖がいまだ抜けないので呆れられることも少なくなく、何かトラブルがあると彼に原因があるとみて間違いないのだが、見え透いた小ウソを除き、全く話が違うじゃないかというウソは言わないし、やりとりのニュアンスを伝える表現力には目を見張るものがある。

長男によれば、塾で私立小の6年生のグループに話しかけ友達になったのだが、向うはこちらを時折、公立っと呼ぶという。
そう言われると、とても癪に障るということなので、友達というよりはこれはもうはっきり線引きされ、バカにされているということだろう。
長男が会心の手応えだった自信満々のテストの出来具合をズバズバデリカシー欠いて聞くなど、話しかける際のマナーがなってなかったのかもしれない。

そして、先日、長男とも塾とも関係なく、うちの二男も同校の児童に路上で公立っあっち行けとおちょくられたということなので、未確認だが同一のグループの言動だと推測できる。
公立という一語は無色だが、放たれた公立っという語には、偏見に満ちた人間観が込められている。
子供だから深い考えはないにしても、単にアホ、ボケというより、これははっきり、よからぬ底意が透けて見える。
我が愚息にそのように言われてしまう責任の一端もあるであろうとは了解しつつ、その一方、相手側に、下々を見下しその度ごとに我が身の置かれたフカフカ具合を再確認するという選民思想が無意識裡に横たわっていると考えざるを得ない。

そして、一歩考察を進めれば、同レベルの交流の中では伺い知ることのできない優越意識のようなものが、当事者らはそんなことはありえないと否定するのだろうが、ある種の集合的意識として、一部の家庭、敷衍すれば学校なりを背景に、醸成再生産されているという見立ても成り立ちうるのではないだろうか。
そう仮定すると、いろいろなことがそのような視点で整合的に見えてくる。

別に何か実害があったわけではない。
取るに足りない話である。
しかし、そうは言いつつ、よくもまあ我が一門に言い放ってくれたものだと、少しくらいは腹が立つ。
そりゃ、お相手に比べれば血筋も交遊関係も何層も下の下の賎民なのだろうから仕方ないけれど。

不本意ながらも生じたマイナスの感情をエネルギーに変換し、君たちは黙って彼らの百倍強く賢くなるしかない。
ごちそうさま、と言おう。

ノーブレス・オブリージュとも無縁な鼻持ちならない優越感の持ち主は、古今東西、人間の描くどのような物語においても、没落の憂き目を見るので、こちらに何かしてこない限りどうでもいいけれど、そのプロセスにおいて多くの人を虐げ傷つけ、と大変に高コスト体質であるので、まあ、あまり迷惑かけないよう気をつけてもらいたいところである。

念のため、誤解ないよう付け加えねばならない。
高校生の頃、隣り合った机で勉強しながら、飽きると弟と雑談するのだが、おれらの将来の嫁さん、いまどこで何してるんやろな、とそんな話をたまにしていたことがあった。
まさかその時、家の真隣の名門女子高の一学年下と結婚するなど想像だにしなかった。
いまどこで何をしてるやろな、どころではない。
隣の学校に毎日通って来る相手であり、あまりに間近にあり過ぎて、何度も何度もすれ違っていたのである。

つまり、そのような目に見えない不可思議極まる背後のとりなしのようなものがあって、更にその先の先をたどれば、人間の思慮を超えるような巡り合わせの数々が想像を絶する艱難辛苦を乗り越えて、ついには君たちに帰着しているのである。
気後れすることなど何もない。
自らのはるかな系譜を思い、恐れるものなど何もないといつだって恬淡、強気を保てばいい。

天才ではないから一生懸命勉強しなければならず、ずば抜けた体力と運動神経がある訳でもないから、ラグビーの練習に苦しみ、いろいろ大変であるが、それらをくぐり抜ける不滅の力を受け継いでいるのである。
その証拠に、恐ろしいほどに体力がつき、いくらでも根気が続き、負けてたまるかという男っぽい面構えになってきた。

そして、誰だって、そうなのである。
以前「縁の糸」に書いたとおり、源流たどれば、一個の人間の背後には、父母祖父母らに留まらない無数の人物が存在し、また、その本人を始原にしてさらに無数の関係が生まれて行く。
そのような圧倒的に濃密な人の連なりをビジュアル化して見るようにすれば、ざっくばらんに付き合うにせよ、礼節として保つべき他者への敬意が失われることはないだろう。