KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

塾もいろいろ

明日の月曜日に我孫子で酒席がある。
以前から「先生、一度お付き合い下さい」と誘って頂いており、今回仕事の打ち合わせもあった上に「折角なので、夕方にお越し下さい、いいお店ご案内しますので」と言われ、「必ず電車でお越し下さいね」と釘を刺され、そこまで言われてゴルゴ13のように無愛想に酒場で水を飲むわけにはいかない。

9月22日から始めた禁酒は今日までで延べ44日間。
43勝1敗の戦績である。
1敗は尼崎ココエ前に開院した谷口クリニックの内覧会にお邪魔した日のことであり、谷口先生に対し禁酒してると語った舌の根も乾かぬうちのことであった。
夜、顧客に連れられた甲子園丸安のひれ酒でなんとも香り高く味わい深い苦杯を喫したのだった。

最初はノンアルコールを飲もうとした。
しかし一体何の真似だと諌められ、観念し腹を決めて飲んだのであった。
我孫子では「先生、お味はどうですか、ささ、一杯やって下さい」とお酌されるまま「いやー、これは美味いです、ああ臓腑にしみますね」と勧められたお酒を真摯に飲み干す覚悟である。
もともと、共感体質である。
年配の老社長に歓待されてまで結構ですと袖にするような野暮なことをするつもりはない。

先日、鷲尾耳鼻咽喉科の鷲尾先生に夙川の寿司屋へ連れてもらった際に、キリンフリーなど口にしたことが悔やまれる。
男同士膝付き合わせて会うときに、飲める口なのにノンアルコールといった、男なのにイチゴケーキ頬張るみたいなみっともない、大事な場面を茶番に変えてしまうような不細工なことは今後一切しないことにする。
この先、わたしは誘えば来るし、来れば飲む。
お見知り置きを。
そして、圧倒的な勝ち越しを維持しつつ、戦績は記録し田中内科クリニックの田中院長に包み隠さず報告することにする。
それが私にとって最良の、効き目抜群のブレーキとなる。

ところで、我孫子と言えばその近くに住む友人が、子の塾をある最大手から能開センターに変えたと聞いた。
もとの塾で成績が悪かった訳ではなく、むしろ相当に良かったのだが、かねてから親身さが欠如していると感じておりあることがきっかけでもはや限界と能開センターへと移籍したということだ。
在籍中は大量の宿題をこなすため、診療を終えた後の疲れ切ったカラダで深夜まで子の勉強を見なければならないという重い負担もあった。
いまは塾に任せてそのような気苦労からは解放された。

月初めの退塾で当月の月謝は一銭も戻らず、それは規約だから仕方ないにしても、受けることのなくなった公開テストの代金まで返ってこなかったのはどさくさにしても不誠実ではないかと思ったけれど、むしろその方が清々しいと思うようになった。
優しく接してくれた事務員のことをまるで健さんがするように息子は気にしていたが、数年通った塾の先生からは何の連絡もなかった。
名も無き家畜の一頭のようなものであったのだろう。
このシステムの乾き具合に、生存競争に最適化した世界の一面を見るような思いがした。

彼によれば、能開センターの親切さは、顔のある対応というのだろうか、最大手にはないものであり相談する段階から深く感じ入る場面が度々あったという。
古き良き時代の、塾の面倒見の良さとはきっとこういうものなのだろう。
忙しい合間を縫ってよくここまで真摯な対応をしていただけるものだと感心したという。
営業のために親切にしてくれているという話ではなく塾としての理念や教師の面々に深く根付いた職業観のようなものが背景にあると感じた。
付け焼き刃の役割を担った若者が、やっと連絡ついたかと思えば通り一遍の無内容なことをしたり顔で言う、木で鼻を括ったようなデジタルな対応に終始する、といった話とは雲泥の差だ。

もちろん、人それぞれ教師もそれぞれで、忙しいやら疲れているのやら色々事情はあるのだろうし、コミットの度合いに温度差も多少はあるようだけれど、それらを差し引いても、信頼に足る中心的な指南役が間近に控えて目を注いでくれているという安心感の方が大きい。
なかには個々様々な特徴ある生徒の一人一人に向き合い、例えばテスト一つとっても、単に正否を見るだけでなく選択肢のチョイスに至るまでフィードバックし、次に成果出すための方法を模索伝授するといった、そこまでのきめ細かい寄り添い方をする先生までいる。
詳細で分かりやすい模試の解析結果一つとってもその精緻なきめ細かさは一目瞭然である。
そのような風土がある限り、一時的に行き違いが生じたとしても即座に解消可能で些細なことだ。
自分の子の性格を考えれば、顔の見える距離で向き合って面倒見てもらった方がいい。
いまのところ何も問題はないけれど、もし仮に器量に一難あったとしても、うちの息子には世話女房の方がいいのだよ、と彼は言った。

商業ベースの流れに乗り、巨大化の一途を辿る塾にとって、非効率は徒となるのだろう。
だから、塾の成長を優先すれば非効率はそぎ落とされ、その部分の負担は、外部化され費用化される。
親が仕事後に一肌脱ぐか、セカンドスクールに通わせるといった矛盾が生じることになる。
カフカの城さながら、子の担当者が誰なのかもう一つ不明なままであり、連絡してもすぐにはつながらず、向うから何か案内があるとすれば追い銭が必要な請求書くらいしかないという、彼の言葉を借りれば、まさに不条理な状況に置かれる。

最難関の入試を突破するうえで他の追随許さないノウハウの蓄積があり、盤石確固とした指導の方法論があり、何にも増して集まる生徒の質が高くそのトップレベルに対応できる選りすぐりの優秀な講師がいる塾というのは、魅力的ではある。
しかし、子にとって、益となるか毒となるかは、目的を考えて親が見定めてやらないといけないだろう。
子によっては、よすがとできる人物の視線注がれるもとで勉強した方が伸びるという場合もあるだろうし、目障りだから放っておいてくれとカリキュラムとライバルだけを意識して伸びる子もいるだろう。
彼自身は、何が何でも超一流校の合格を勝ち取れという在り方ではなく、ボチボチペースでも実りある時間を過ごしてくれればそれに勝るものはない、という結論に達したということだった。

転塾にあたり様々な相談を繰り返すプロセスで、そもそもの目的に思い当たった。
熾烈な競争のなか勝ちを追求するためにわざわざ塾に通わせた訳ではない。
醒めて行き暮れたような連中と過ごして、しぼんだ未来に流れ着くといったことがないよう、意欲ある仲間の触発を受け子の成長を喜んでくれるような師に出会って好作用を受けてくれればそれで十分なのだ。
いま、彼の子は、機嫌よく塾に通っているという。
人恋しい秋、受験というプレッシャーがあれば尚更、本当に気にかけてくれている教師がいればそれはそれは心強いことだろう。

さて、街は秋、明日の薄暮は老社長と一献。
どんな話が聞けるか楽しみだ。
そうそう、全てが学びの場である。
学べば学ぶほど良き出会いに恵まれる。
楽しみ尽きない人生、ラララララだ。