KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

そろそろインフルエンザ予防接種の季節である

我孫子へ行く道すがら、阿倍野の田中内科クリニックに立ち寄る。
毎月の血液検査に併せ、例の如くスタミナ補強として特製ニンニクエキスの注入を受ける。
それらに加え、そろそろ冷え込みも本格化する季節、田中院長の勧めもあって、インフルエンザの予防接種も受けることにした。

今年のインフルエンザ注射は痛い、チクッとするどころか針先がしみてジンジンするくらいであるという噂を耳にしていた。
痛い注射は避けたいが、自分が罹って周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。
インフルエンザのハードさ苛酷さはなった者でないと分からないだろう。
そのような苦悶を、自らが引金となって仲間や子に味合わせる訳にはいかない。

4,5年前だろうか。
熱っぽくカラダがだるかったが、仕事に出た。
あまりに寒く、電車の扉が開く度に身が竦む。
座席足元の通風口から出る温風だけが頼りである。
少し休んで暖まれば何とかなるだろうと電車で行きつ戻りつ座りっ放しで時間を過ごす。
しかしどうなるものでもなく、不調さが極まって行く。
病院が開く時間まで何とか持ち堪え、4時になるやいなや駅前の内科に駆け込んだ。
39度を越える高熱があり、診察の結果インフルエンザであった。
それから丸二日は寝込んだ。
仕事どころの騒ぎではなかった。
気合いでどうのという話ではない。

ニンニク注射が終わり、いよいよ、インフルエンザの予防接種だ。
右の袖を直し、左の袖をまくり上げる。
恐怖が込み上がる。
田中内科クリニックの美貌の看護師が哀れみの眼差しでこちらを見ているような気がする。
私は痛みに耐えられるだろうか。

生来の注射嫌いである。
嫌いというより注射が怖い。
子供時分は、注射があると分かっていると前日から寝つけないほどだった。
中1の集団予防接種の際、自分の執行の番を待つ列での緊張と恐怖をまざまざと思い出す。

医師の前に放り出され、右腕を差し出す。
誰も助けに現れはしない。
いよいよ、というまさにその時、恐怖が頂点を越えてしまった。
私は笑い出してしまったのだ。
恐怖は極大を越えると笑いとなると知った。
腕がプルプル震え、右腕の注射は失敗だった。
押さえ込まれるように、次は左腕に注射された。
普通にしていれば一回で済んだものを二回もお見舞いされたのだった。

ではいきますよ、木下さんが言う。
もう逃げようがない。
腕を注射に貫かれるのに、そこでじっと座っていられるのだろうか。

と、注射が終わる。
痛みの「い」の字すら感じていない。
え、何もまだ感じていない。
物足りない。
ふわり蝶が止まったような感覚しかない。

そう、木下さんは注射の名人なのだ。
木下さんの手にかかると注射針が蝶の羽ばたきとなる。
だからこそ大の注射嫌いの私でさえ、何の苦もなく毎月のようにニンニクエキスの恩恵に与れるのである。
何と有難い事だろう。
そしてこのエキスによりしたたか飲んでも回復は早く深酒の翌日もいつも通り仕事することができるのだ。

ところで、我が家の面々は、西宮瓦林にある鷲尾耳鼻咽喉科で既にインフルエンザの予防接種を受けた。
子によると全く痛くなかったという。
星光出身の阿倍野の田中院長に対し、甲陽出身の西北の鷲尾院長である。
歩いてすぐの場所にあり、我が家だけでなく地元の方々から篤く信頼されている。
患者目線が行き届いており、子に優しく、鷲尾先生の人柄が浸透しているのだろう、スタッフのホスピタリティも抜群だとすこぶる評判がいい。
地域に素晴らしい医師がいるというのは、居を定めるうえでの重要なチェックポイントとされるべきだろう。
守り神がついているのとないのとでは、天と地だ。

そして、子らが肩越しのぞきみる意識高い大人の仕事ぶりは、絶大な教育効果を持つ。
大人が全力投球している先発隊であればこそ、子らの意気込みも鼓吹されるのである。

その夜、我孫子の社長と2軒はしごした。
一軒目は、すえもと。
魚料理が抜群。
二軒目は我孫子商店街のスナック。
社長の歌に喝采を送り、そして帰りにお好み焼き2枚を土産に持たせてもらった。
絵に描いたような素晴らしい我孫子飲みとなった。
そしてもちろん、常に働く仕事人。
翌朝5時にはともに仕事を始めていたのであった。