KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

お家が一番

夜中に帰って早朝事務所に戻るだけなので、忙しいときはいちいち家に帰らず事務所で寝るのが合理的ではないか。
近くに風呂屋もあり飯屋も星の数、クリニーング屋もあればコンビニも目鼻先。
寝具はないけれど工夫すれば冬場でも眠れないことはないだろう。

そのように考え、爆弾低気圧が日本を襲ったこの2日間、事務所で寝泊まりしてみたのであった。
まず初日の木曜日。

美々卯本店での忘年会の後、事務所に戻って用事し風呂にも入る。
床上に段ボールを敷き、ありったけのセーターやジャンパーを着込み、マフラーやネックウォーマー等を枕にして横になる。
美々卯はうどんもうまいが蕎麦もいい。
かに身の天ぷらやお刺し身、鍋で煮えるカキの風味を反芻しつつ、普段なら間もなく熟睡だ。

だがとてもじゃないが眠れない。
枕が変わると寝つき難くなるといった話ではなく、床上に段ボール、そもそも中年男子が一夜を過ごすには忍びなさすぎる。
階下のカラオケの賑わいで、一層寂しいような感も込み上がる。
思い立って、間近にある東横インの空き室を検索する。
しかしどの部屋も満室だ。

仕方ない、目をつむればそれだけで疲れも多少は癒えるだろう。
外を吹く風が駅前パチンコ屋のシャッターを強く打ち鳴らし、人の気配ないビルで真っ暗ひとり過ごす不気味さが募ってくる。
幽霊のことなど考えた事もないのに、いろんなのが浮かんでそのイメージが消えない。

友達にfacebookを通じ、困っちゃったよ、とおどけてメッセージ送るが、内心は早く夜が明けてくれという一心である。
タクシーで帰れば、と友人は助言してくれるが今更どの面下げて家に帰れるというのだろうか。
おばけ怖いから帰ってきたよ、など中年男子が口にできる言葉ではない。

何となく記録しようと、天井の写真を撮ってみる。
iPhoneの画面に、「これは誰?」という表示が出る。
ただの天井、誰もいやしない。
「天井」と入力するが、えっ誰かいるのか、と疑念が生じる。
写真に映る何か異様な気配を想像して、怖さが増す。
眼にも見えないのに、何でカメラに写るのだ、馬鹿馬鹿しい、そう思ったところで余裕を持てない。

地球が自転や公転するすさまじい音が人間には感知できないように、幽霊かどうかは知らないが、眼には見えないだけで何かがそこらじゅうにあっても不思議なことではない。
ただ、それらが見えてしまったら、何をどうしていいやら情報処理ができないだろう。
文字通りフリーズするしかない。
為すすべなくただただ凍りつく中年男子、その図柄がさらに怖さを助長する。

明け方少し寝入ったようだが、全く眠った気がしない。
徹夜明けのような眼のパサパサ感が残ったままだ。
しかし、平日金曜日である。
アポがある、調査もある、ぐずぐずしてられない。

栄養ドリンクやコーヒーなどを流し込み何とか平常通り平然と仕事をこなす。
不思議なもので切羽詰まると時間を追うごとにすこぶる快調になっていく。
夕刻時には、充実感もあって元気溌剌。
友達らにfacebookで事務所泊リベンジを高らかに宣言するまでの馬力となっていた。

昨晩は、冬の夜の荒涼とした雰囲気に不慣れでびびってしまっただけである。
幽霊など出ないことも分かった。
もう大丈夫だ。

駅前のキラクでシンプルだけど深みあるラーメン、薄く小さくしかしこれまた味わい深い餃子を食べる。
風呂にも入り、用事をしつつ寝支度を整える。

階下のカラオケが止み、そろそろ寝ようと横になった途端、何人もが押し寄せてくるような不穏な空気を感じる。
ちょうど事務所の真ん前、深夜1時から何か工事が始まった。
真下からかけ声よろしく男どもが懸命に仕事する様子が伝わってくる。
間近過ぎて、その一員となったかのような臨場感である。
重機の音が増していく。
事務所二階のブラインドを透かすようにライトの光が舞台を照らすスポットライトのように不規則に動く。
人影も動く。
人夫さんが事務所の窓の真ん前で電線の処理をしているのだ。
この真っ暗な事務所の中に中年男子がいるなど想像もしないだろう。
一斉に事務所の灯をともしブラインド全開にすれば、工事の兄さん、ブッたまげるに違いない。

人夫さんは電線切っても喉元をかっ切りには来やしない。
幽霊と違って得体知れない存在ではないので全く怖くない。
しかし、その音ははっきり聞こえる。
光もちらちら見える。
ただただやかましい。
落ち着かない。
この騒々しさで眠るのは無理である。

せめて心安らか横になり休もう。
こんなときは子どものことでも考えるのが一番いい。
子のこと思い浮かべれば安息の境地に至ることができる。
幸福なことである。

中年男子は放置されると澱んだ池のように濁っておりがたまり、そのうち干からび見るも無残なごみ溜みたいになってしまうようである。
浅はかな合理的思考ではそこが汲めなかったようである。
家への行き帰りの時間が節約できても、肝心の心身の充電ができないままでは戦場で満足ゆく奮闘は果たせない。

家庭があってそこでエネルギーの補充を受けてこそ、ささやかであれ流れみずみずしい河川の支流となって、外に向っていくことができるようになるのだろう。
毎夜、そこで手料理を食し子らと風呂に入りその寝顔を見て、目には見えないエネルギーの交換と活性化が行われる。

家なんてどの場所にあろうが、どんな造りだろうが、雑魚寝して食卓置けるスペースがあればいいという考えであったが、少し本質が理解できたような気がする。
家族の精神的な基礎が形作られる場所、家とはそういうものなのだ。
いい環境にあった方がいいし、それなりの空間のしつらえがあった方がいい。

ちゃんと家があるのに帰らない、これはもう人間としての基本を損なう軽挙妄動と言うしかない。
君たちも少なくとも大学までは家で過ごした方がいいだろう。

今夜は、美々卯のうどんすきがお家に届く。
12月8日、二男10歳の誕生日だ。
11月1日には長男が12歳となった。
子らが無事に育って、何もかもに感謝である。

お家が一番。
クリスマスソング流れる野田の商店街を通り、BigBeansで食材買ってそろそろ帰る。