KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

オスノイズとメスノイズ

すっかり回復したが、昨夕急に熱が出て慌てて帰宅し頭痛の見目形をまさぐるように臥せっていると電話が鳴る。
無意識裏に、息も絶え絶えかったるいような声を出してしまっていたのだろう。
相手からすれば失礼な話だ。
はーはー、と声漏らすなんて程度の悪いいじわる電話ではないか。
(うちの二男はいたずら電話のことをいじわる電話という。)

怒鳴り声が強く響き反響しつつやがて遠のき、歌の終わりのような沈黙の一瞬後、電話が切れる。
一切言葉を差し挟む事ができなかった。
何しろ頭が痛い。
後を追って電話する気力も湧いてこない。

仕方ないので臥せって寝つつ、静けさに身を浸すなどといった心地よさからはほど遠い状態で、喘ぎながらオスノイズについて考える。
私はオスノイズに対し、自負覚えるほどに強い免疫を持っている。
怒鳴られようが、罵声浴びせられようがどうってことない、平気である。
そのような怒号が春先の暖かで優しい雨のようにそぼ降る町で育った。

だからオスノイズされるべき状況にあれば傘も差さず寛いだ風に穏やか甘受できる。
見よう見まねだけれど、私自身もオスノイズの使い手の端くれだ。
いざとなれば、声が出る。
あんたに言われたかないよ、となれば相手の3倍くらいは上を行く。
オスノイズの一つや二つ、男のたしなみみたいなものである。

これでメスノイズにも心得があるとなれば、ただの自慢話となってしまう。
お察しの通り、男子校生のご多分に漏れずメスノイズには、からっきしだ。

先生と呼ばれる仕事をしているけれど、もし擦れっ枯らし集う女子高の先生ということであれば、これはもうつらい日々だったに違いない。
女子高で身を守るための、風にそよぐ柔らかな栗色の長髪もなければ、ジーンズが似合う細身の体躯からもほど遠く、蒼くキラキラ光る瞳もない。
おまけにギャグも下らないので、目の敵にされ風林火山と化したあばずれを向こうにまわし、なす術無く、鬼畜米英と血塗られた案山子のように銃剣で突かれ放題といった惨状を呈したことだろう。

メスノイズには勝てるはずがない。
局地戦で短期的にならオスノイズの一喝で一時的な勝利は呼び込むことが出来るかもしれないが、まさに三日天下、その後状況は更に悪化するだけとなる。

そう考えれば、オスノイズなど疑似パンチみたいなもので正体みたり枯れ尾花、耳障りなだけで痛くも痒くもない。
張りぼて同然、何とも素朴で裏がない。
それに比べてメスノイズは、よくできた言い回しであればあるほど心中深く達し、じわじわと毒性を発揮し付き纏う。
ここという時にかぎって、耳の奥でこだまし、力を殺ぎ動きを止める。

オスノイズが目立つのに比べ、メスノイズは目立たず、時には音すら発せず暗示的に文字や数字として姿を現すことがある。
知らず知らずコンプレックスを募らせ意気消沈する一群の人々をつぶさに調べれば、テレビや広告やその他から何らかのネガティブなメッセージを何度も何度も植え付けられてきたといったようなことがあるのではないだろうか。
考現学的に検証すれば興味深い知見が得られるに違いない。

ノイズに抗するには一にも二にも免疫を備えることだろう。
まるで故郷の香をかぐようにノイズを深く吸い込めるような耐性が不可欠だ。
さもないと、オスノイズでいちいち逆上し、メスノイズでたびたび絶望するといった面倒くさいことになりかねない。
極端な場合には一発でノイズにやられ再起不能になってしまう。

十分な愛情の基盤があるという条件のもと、折々、罵詈雑言や当てこすり、怒声や金切り声に触れる機会を持つことは、先々ノイズと共存できる心性育む上で存外大事なことなのであろう。

ではメスノイズから隔離される男子校生はどうすればいいのか。
良き友を得るか伴侶に恵まれるしかない。
黙祷。