KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

中学受験を振り返って(バトンタッチ)

メカニズムが定かではないので、いつかこの順風は止むのだろうかという危機感はいつだって付きまとう。

しかし、これまた噴飯な話かもしれないが、正しく生きていれば大丈夫だろう、という気がするのである。
一体それ以外に何ができるだろう。

自分の殻を大きく見せたり、相手をまるで札束みたいに見るようになったり、流行のマーケティング手法やらにかまけて仕事が無内容になったりと、誠実さがお留守になるようなことをしない限りは、まあ何とかなるのではないだろうか。
迷信めいていると感じるかもしれないが、それがどうやら真実のようである。
昔から、正しい行いというのは決まっていて、それをちゃんと踏襲するのがイロハのイなのだ。

肌寒くなってきたのでU2を聴きながら小走りになる。
20代に回帰するような気分になる。
当時はもっと軽く早く走れたけれど、今は何という体たらくだ。
しかし勤勉さや充実度、数え上げればきりがない、何もかも今が圧倒的に当時を凌駕している。

可愛くもないのにアヒル顔して眉寄せて困ったちゃんみたいな顔している不細工で貧乏な20代の自分の顔が浮かぶ。
なんて、きもいのだ。

そして、少し同情する。
20代というのは、ほとんど誰もが、まだ地下でくすぶり花開くなどまだまだ先の話、芽もまだ出てないよという暗黒の時代を過ごすものなのだろう。
それでもアヒル顔はいけない。
真一文字にきりりとしなければならない。

私自身、中学入試から30年経った。
人見知りであるが人間関係はいまなお続き、その環境で見よう見まねで培った勤勉さの芽のようなものは、ちっぽけだけれどそこそこ順調に育ち、思った以上に私自身に恩恵をもたらしている。

さっきも言ったとおり、私自身の能力からすれば、段ボールの切れ端のようなパッとしない今の職業が精一杯のところであるけれど、よくよくルーツたどれば奥深い根があるのである。
思い返せば阪神受験で学んだ小6のときに、職業訓練をスタートさせたようなものである。
そして、星光時代に優秀な連中に揉まれ、やることなすことそのレベルに慣らされた。
あの「道場」でよちよちながら競い合ったあの習性がいまなお成長し続け健在だ。

まだまだこの先何十年と機能し続ける貴重な宝である。

30年経った頃、私は役目を終えているだろうが、ちょうど君がまだ見ぬ君の長男の横顔をみて、これから始まる壮大で豊かな30年を振り返ることになるのだろう。

今度は君の番である。
思う存分、やりきればいい。
しょぼいパパなどよりはるかにうまく順応し男を磨き上げることだろう。
そしたら安心、ちょうど笑顔で手を振ってお別れする頃合いだろうね。