KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

情報の三要素

夕刻、事務所に立ち寄った同業者の運転で鶴橋のアジヨシに向かう。
何となく冷麺が食べたくなったのだった。
冷麺となればここらではアジヨシが一番美味い。

凌駕する店を探すには、遠く神戸の長田まで見渡さなければならない。
長田郵便局のちょうど向かい側に平壌冷麺本店がずいぶん古くから店を構える。
酸っぱいものが食べたい頃の妊婦など一度食せばその後も通い詰め、おまけにお腹の中の子まで味を覚えるのか、代々連綿と食べる続ける冷麺となる。

鶴橋界隈にクルマを停め、焼肉通りを駅に向かって進む。
夕食時、どの店も客引きに積極的だ。
しかし一体なぜだろう、私はどの店員からも声をかけられない。

早い時間帯だと一人客が目立つ。
定食屋で晩飯済ませる感覚なのだろう。
冷麺だけ食べるつもりであったが、何せ焼肉屋は誘惑が多い。
彩り添える何品かをついつい注文してしまう。

冷麺すすりながら、天気のいい春のうららかな午後、彼の奥さんが仲間とウォーキングしつつ耳にしたという話に耳を傾ける。

日々仕事に追われ生活が不規則な夫がいた。
30代で独立し自宅を事務所に看板屋を営なみ、ようやく仕事が軌道に乗り始めていた。
日中はもちろん、夜間や早朝の施工も多い。
とても一人では案件をこなし切れない。
そこで若手を一人雇うことになった。

一刻も早く仕事を覚えさせるため、助手として現場に伴い、顧客先へ伴い、会食の場に伴い、ゴルフ場へ伴い、その他あれこれ伴う。
そして、夫はプライベートな場にもその若手を伴うようになった。

家族同然といった風になる。
家にいる時間が長くなっただけでなく、家族の外食にも同席する、あげくは旅行にまで一緒に来るようになった。
子供達もなついていたし、気さくで楽しく、彼がいると雰囲気が和む。
住み込みの書生みたいなものだと思えばいいと奥さんは考えた。
こんなのは今のうちこと。
そのうち忙しくなりピンであちこち営業やら施工やらにてんやわんやとなるだろう。

そう、そんなのは本当に「今のうち」だけのことだった。
ある日、ともに過ごした旅先のホテルで若手君が階段から足を滑らせた。
腕をおさえ階下で彼がうずくまる。
夫が一目散といった勢いで彼に駆け寄る。
ほっと安堵し胸撫で下ろす夫の様子から大事に至らなかったことがうかがえる。

しかし次の瞬間。
夫がハンカチをとり出し、彼の傷を手当てした。
その一シーンを目にして、奥さんは全てを悟った。
点と点が一気につながるとはまさにこのようなことを言う。

店じまいしたのだろうか、今や店先に看板屋の看板は跡形もなく、庭の草は無精ヒゲのように伸び放題になっているという。

この話を聞き私は感心した。
伝聞として見事な構成である。
細部と全体像がほどよいコントラストをなして流れが明確だ。

この話はハンカチだけだと伝わらないし、看板屋だけでもピンと来ない、階段だけでも何のこっちゃである。
看板屋という全体像のなか、階段というダイナミックな流れを経て、細部としてのハンカチが鮮やか薄紅色の光彩を放つ。
つまり、伝聞がビビッドに躍動するための三要素がきっちり押さえられている。

これは仕事においても重要なことである。
ときに頭でっかちの人は大切な情報伝達において、細部だけ、はたまた全体像だけ、そうでなければ流れだけ、といった風に情報の次元が貧弱になりがちだ。
その話を媒介して伝えなければならないとなったとき、困り果ててしまう。
情報はますます縮減してゆくだけとなるか、サービス精神満点の者が介在した場合には尾ひれ羽ひれつき原型を留めなくなってしまう。

何かを伝える際のお手本のような話として参考にし、自分の話に看板屋と階段とハンカチがちゃんと登場しているか、それらが有機的に結びついているか、といったことを将来の有能なビジネスマンとして君たちも常日頃から検証する習性を身に付けなければならない。