KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

餌付けし恐怖でロック

長男が小学生となる春、入学式に何を着せようかと家内とあちこち走り回ったのがつい昨日のことのように思い出されるのに、いつの間にか当の長男が卒業式を迎えた。
塾やらの送迎でついこの間までは助手席には決まって長男がいたが、いまや二男がその座を占め、ひとつの時代が区切りつけたのだと実感せざるを得ない。
あのサル丸出しのような長男の子供時分の面影はすべて思い出という幕間の奥に引き下がることになりつつあるようだ。

夕刻、長男、二男そして家内が事務所に集結した。
寿司ということで夕飯のメニューが珍しく異議なく一致した。
一昨日も寿司を土産に持って帰ったような気もするが、美味い寿司が平素のお口を寿司フレイバーに保ち、何か食べるとなれば、さらに寿司という状態なのであろう。

事務所地元のざこば鮨を訪れることにした。
以前から噂は耳にし気になっていた店であった。
一見大衆食堂と見紛うような店の装いであり、実際、寿司以外に蕎麦、うどん、丼物といった幅広い品揃えを擁し大阪らしいストライクゾーン広めの食事処ではあるのだが、大阪中央卸売市場のお膝元であるから当然その売りは寿司であり、美味すぎると数々の寿司通をも唸らせる名店だ。
子らにとってもワーイワーイと歓喜の血潮渦巻くメニューのラインナップである。
いつか行ってみたいよガンダーラと歌いつつ家族でそそくさ歩を進めたのであった。

そして噂に違わず、差し出される寿司は特上からありふれたネタに至るまでどれもこれも頬張るごと家族で顔見合わせる美味しさであり、どこまでもいつまでも食べ続ける息子達はもちろん蕎麦もうどんも注文し、これまた、それだけでもハイレベルな味わいであった。
一粒で二度おいしいどころではない。

ガツガツ食べる息子らを眺めつつ、それはそれは幸福なのであるがあんまり美味しいものを日頃から食べ過ぎるのも考えものかもしれないと一抹の懸念を覚える。

おいしいものが簡単に食べられると勘違いすれば将来のリスクは増すかもしれない、という話だ。

いま君たちに、知らない人にお菓子買って上げると言われてもついて行ったらアカンでと言っても、一笑に付すだけだろう。
しかし、実のところ油断大敵、この「お菓子買ってあげる」戦略は、形こそ違えど普遍的な人心支配の基本型であると重々心しておかなければならない。

人間を買い被ってはいけない。
どんな人間にも飼い馴らされる動物的な一面があって、誰にでもそのような性質が生来備わっている。

動物を餌付けし支配下に置くことに比べて、人間の場合は甘い汁吸わせれば、恩義覚えたり感謝の念を抱いたりするので、さらに扱い易い。
恩を受け恭順の心が芽生えそうな段階でさらに手厚くなでなでされてしまうと、まるで飼い主にじゃれる子犬のように、わんわんとなついてしまう。
それが場合によっては支配と被支配の第一段階になるのだと、なかなか人は気付けない。

そして、第二段階に移行する。
飼い主に対し何か悪感情を持ったり批判的な思いを持ったりしても、何せ恩を受けている、お金もらっただけでなく、いい時計を贈ってもらったり、ゴルフクラブをもらったりもしている、恩が逆風となりネガティブな感情を抱いても、自らに非があるのではと矛先が逆向きとなりがちになってしまう。
何かおかしいと感じても、ここを過ぎればもっといいことがもたらされるかもしれない、それに、こちらは恩を返さなければならない立場なのであるし、とりあえずは大人しくしておくのが得策だろうと、何かにつけ反応が鈍ってゆく。
誠実でいい人であり、かつ無意識であっても欲深ければ、その構造に嵌まっていってしまう。

最後は恐怖で仕上げだ。
最初からムチ打たれるだけなら、相手にしないはずだ。
しかし、さんざんアメを舐めさせられ、恩義という負債が手足を縛っている。
これをほどけば恩知らずであり、理不尽に聞こえるが相手の言うことにも一理あるような気もする。
こちらに非があるのかもしれない、それに、刃向かえばもうアメが舐められないかもしれない。
アメが舐められないなんて、その方が恐怖だ。

恩義が蓋となって理知はしぼんで閉じたまま、ムチで打たれようが足蹴にされようが、手かせ足かせに進んで身を預け隷従してしまう。
素で聞けば脅迫や恐喝でしかない言葉が貴重な教えに聞こえるようになる。
ムチの気配だけで足がすくみ縮み上がってしまう。
利用しがいのある丈夫な奴隷根性の出来上がりだ。
そして最悪の場合には奴隷同士で一蓮托生といった状態に留め置かれ、命運全てを差し出した状態で好き放題どこまでも餌食にされるのだ。

寝技で固められているようなものである。
自分一人の力ではどうにもならないかもしれない。
そこまで至れば、謙虚に助けを乞うべきだろう。
身内、友人、知人、精神科医、弁護士、署がつく役所である警察署、税務署、労基署、エトセトラ、交遊関係見渡して助言を乞えば、凝り固まった思考回路も一新され視界明瞭、解決の方向性が見えてくるに違いない。

陸にライオン、海に鮫、生野にクニちゃんがいるように、そのようなメカニズムを天才的に熟知し人を支配し世を渡る者があると畏怖しつつ知っておかねばならない。
尼崎で起こった連続変死事件などからも数々の教訓を学べるに違いない。

自分のことなど勘定に入れずまずは人によくするという心持ちの血筋であるから、そのような底意ある施しといったものにピンとこないであろうし、区別もつき難いであろう。
しかし、自らの危機管理として「お菓子あげるから」で痛い目に遭い沈欝な日々を余儀なくされる大人が大勢いると思い巡らす視点はあった方がいい。

ほとんどの場合、本当に心から良くしてくれる人の方が多く、特に私たちはそのような方に取り囲まれ恵まれている。
しかし世を見渡せば、いい人だったはずなのに一体なぜという矛盾するような場面に遭遇し混乱し、たいへんな苦境に陥っている人も現にいるのである。
猜疑の目を向けざるをえないような首傾げる状況に直面したときには今日の話をよく思い出して欲しい。
とりたてて珍しくもなく、周囲の誰かにいつ生じてもおかしくない事態なのである。
ああ、親父はそういうことを言っていたのであるなといつか膝を打って得心する時もあるだろう。

餌付けによる被支配を免れるための予防法としては、私が尊敬する経営者の方のやり方がもっとも優れているのではないだろうか。
贈り物をもらった場合、それが高価であれば身に余るとそのまま返し、廉価なものであれば同額同程度のもので返礼するというやり方だ。
これだと相手に不明瞭なアドバンテージをとられることがない。

そして心構えとしては、身を律し鼻の下のばして物欲しそうに振る舞わないことだ。
自分だけでなく、伴侶もそうでなければならないだろう。
21世紀の先進国に生きているのである。
カネで買える程度のものを身の丈以上に欲しがるメンタリティこそが過去の遺物、史上最弱で一線画すべきものであると覚えておくことだ。
甘い蜜にノーガードとなった瞬間、アホが見るブタのケツとなる。