KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

静かな暮らし2

仕事を切り上げ間もなく長い歴史に幕を閉じるアマ湯につかる。
夕刻の丸裸のくつろぎの中、おじさんらがお湯場でする千年前から続くような他愛もない談笑に耳を傾ける。

家に着くと相前後して長男が帰ってくる。
家内がキッシュを焼き、お腹空かせた長男がまずは腹ごしらえ。
二男は既に夕食を済ませ塾の勉強に勤しんでいる。
二男から算数の質問があったのでホワイトボードで格闘するがキッシュをパクつく長男の端的なアシストで即座解決。

入浴も済ませ、リビングでは二男が勉強、中学生となった長男は自室にこもって英語の宿題に取り組んでいる。
家内はキッチンで明日の弁当の仕込みをはじめ、私は目を盗んで摘み食いしつつソファに寝ころび本のページを繰る。

日常の時間がとても静かにゆっくりと流れてゆく。

運転免許合宿のザワザワした夜をふと思い出す。
はるか昔、大学生の春休み、徳島での合宿免許教習に申し込んだ。
写真で見たのとはまるで異なる粗悪な施設で、何やら騒々しく落ち着かない雰囲気にまみれていた。
風呂の水は赤茶けており、食事も貧相。
猫がうろちょろしており、お魚くわえたノラ猫といった牧歌的な様子からはほど遠く、部屋の片隅でねずみの死骸をむさぼっていたので、これにはもう血の気が失せた。
その時以来、猫族とは縁を切ったし今後和解するつもりもない。

部屋は寝床となる傷みのひどい2段ベッドが2組あるだけの狭さで、そこで4人もの人間が寝起きするしつらえだ。

追手門大学の学生2人とガソリンスタンドで4月から働くというヤンキーと相部屋となった。
追手門の春の課題図書の本を偶々既に読んでいた私は、彼らの読書感想文を手伝うことになり、一目も二目も置かれるというアドバンテージを得ることになった。

初対面が一堂に会する場ではこういったアドバンテージがその後の過ごしやすさを決定づける。

同じ時期に姫路の職人見習い風の若い一団が合宿所に居宿しており、これはもうどこからどう見てもやんちゃ風情で、言葉遣いから何から一際目立つ迫力ほとばしらせ、下手に因縁をつけられればややこしくなりかねない。

幸い追手門の学生らにはそれに抗するような存在感があった。
その二人に一目置かれているものだから、彼らが盾となって私自身は何の脅威も感じることなく過ごすことができた。

しかし陸海空すべてにおいて静かさからほど遠い状況が招き寄せられる。
隣棟に女子寮があり相部屋のヤンキーらがちょっかいを出したようで、選りすぐりというほどに不細工な女子らが明け方出入りしヤンキーとその仲間達は談話室で異性交遊を始めたようであったが、そのヤンキーは見境がなかったらしく、もしくはそれは合宿所のこの世の果ての素寒貧さがそうさせたのかもしれないが、粒ぞろいななかでも決勝で相まみえそうな雌雄決し難いほどの両横綱二人ともにアプローチしたようで明け方に痴話喧嘩のような怒鳴り合いが別室から響きヤンキーが逃げ込むこちらの部屋の扉までどんどん叩かれるような騒ぎが続いた。

私は夜そこで過ごすことに限界を感じ、近くの土柱温泉に連日通いそこで風呂に入り食事もするという二重生活を送るようになった。

とても不細工な女子たちのなか、たった一人、ちょっと別格な雰囲気の女性がいて、空き時間には女子寮の窓から静かに外を見つめている。
その女性と私だけが、一人の静かな時間を保とうとしていたように思う。

私は話しかけるべきであったろうか。
いや、お互いそっとし合って一人で佇むべきであっただろう。
静寂が懐かしい、お互いそう思って過ごしていたに違いなく、誰かにとってノイズとなることを避けるデリカシーだけが二人の共通点であったように思う。

あのような猥雑さについてはすべて一通り学び、小学生であった生野区時代に卒業している。
ところ変われば変わるほど猥雑さというのは週刊誌の中吊り広告のようなものに違いなく、相も変わらず同じような相貌を見せるだけのものに過ぎないようだ。
大学生にもなって復習したところで感心するような学びなど一片も得られない。

明日は5:30に起こしてと二男が声をかけてくる。
地味で静かで朝が早い。
これこそが我が家の根幹なす主旋律だ。

なかには、こんな退屈で代り映えのしない暮らしは真っ平ご免だという人もいるだろう。
人には波長というものがあるし、刺激が不可欠な人もいる。
そのような人からすれば、これは何かの修業か訓練なのか、ああ耐え難い、となってもおかしくない。

うちはうちのペースを淡々と貫くだけのことである。
疲れるだけだし非生産的なので、無理してバタバタした歩調に合わせることはない。

最近、仕事においても強く感じる。
静か着実に進むことこそ極意である。
勢いづいて力んでも続かない。
細々とであっても飄々と積み上げてゆく。
慌てず騒がず穏やかな境地で毎日取り組む。
ゆっくりとであっても欠かさずに続けさえすればいいのである。

静か静かに、我が家の時間が過ぎてゆく。
この呼吸感がすべてのベースとなる。