KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

忘れることのできない言葉

少年は、書斎に身を潜め遠く台湾の地から祖父に宛てられた手紙を覗き見た。
襖から絶えず入り込むすきま風を受け手紙は祖父の机の上ではたはたと音を立てている。
差し込んでくる陽の光も揺れる。
少年はそっと手にとった。
目にしたこともないような画数の漢字がひしめく。
意味は何も汲めない。
ある一隅に目が留まる。
そこにだけ光が差していたのだろうか。
たったの四文字。
少年はそれが女性からの手紙であると察した。
おおよそが飲み込めた。
文意の全てはその細部に宿っていた。
少年は額の汗を拭う。

その四つの漢字が何であったのか、それはおいおい語って行こう。

天気が危ぶまれたこの日曜日、我が家に田中家、鷲尾家、清水家が集結した。
家内は腕を振るって豪勢な中華料理を拵えデザートの杏仁豆腐まで含め大好評であったが、その料理が霞むほどに、もたらされた品々は目を丸くするほどに珍しい、まるでアジアの小国にお裾分けされた漆器や屏風や絨毯といった舶来の名品逸品がうちのリビングに揃ったかのような様であり、それはもう見事壮観であった。

ハンガリーのワインやオーストリアのスパークリング、ケンゾーの赤ワイン、イギリス王室ご用達のシャンパン、、、これらが持ち寄られ、ワイン好きなら小躍りすること請け合いというラインナップのボトルを次々に開け、なみなみと注ぎ合い深く味わい合ったのであった。
もし北新地でこんな高価なお酒を飲んだとすればシブタニは一体いくらの身銭を切らねばならないか想像もつかない。
というより、シブタニはこれほどまでに豊饒な酒精に一滴も触れたことはないだろう。
これからも、来世でも、来々世でも。

一番のりは章夫であった。
木々の淡い緑と深い緑が風に心地よくそよぐ公園を背景に奥さんを伴いやってきた。
続いて鷲尾家、そして代車を駆って田中家が乗りつけた。

次第に子らも打ち解けてゆく。
小さいながら緊張していた様子がほどけ、終盤には会話もあったようだ。
辺鄙な場所で至らぬことばかりで申し訳なかったけれど、あの時あの家でみなで食事した、そんな記憶を懐かしんでもらえたら何よりである。
また行きたい、と思ってもらえたとしたらもっと嬉しい。

一年生になったばかりの田中家御曹司少年ケータが鷲尾家がご持参のとびっきり美味しいドライフルーツをいたく気に入り、瞬時周囲に目を配りとがを感じる様子を見せつつも両手にどっさり鷲掴みし走り去って行く様は無上の可愛さであった。

晴れた日曜の午後、四世帯が集まり各々持ち寄り分け合って食べて飲む。
そのような輪を囲む平和感というのはなかなかのものなのでありそういった場で食べて笑って飲んだという記憶が良き人をつくるのだと思う。
まさに家族全員のイベントであり、こういうのは本当にいい思い出となっていく。
料理担当の家内に感謝である。

散々食べて飲んで間もなく日が落ちるという頃合い、散会となった。
子らにも友達が増えた。
いつか女子高の学祭のチケットをもらえるかもしれない。
天王寺で何かあったときに駆け込む場所もできた。
先輩だからといいところを見せないといけない場面もあるだろう。
これからはバリバリの公認会計士に直でお金の疑問も相談できる。
ますますどんどん、自らの道行きで貴重な示唆を得る機会が増えてゆく。

さて、冒頭で触れた四つの漢字であるが、まだ私はその言葉を語るレベルに達していないようだ。
安易にやすやすとここに書いてしまうことが躊躇われる。
底知れぬ程の思いがこもった言葉であり、その思いの深さは女性ならではのものであり、そうであれば、一体なぜハゲでメタボのおっさんに語れよう。

遠く離れてしまったあの人のことを片時も忘れたことはない。
とても長い年月が経ったいまでも、ありありと思い出す。
もう会えないと分かっている。
あの人は会いには来ない。
でも、せめてこのことだけは伝えたい。

そしてその言葉は手紙にしたためられ、海を渡り、少年の祖父のもとに届けられた。
言葉の力は凄まじく、たったの四字だけで当事者ではないその少年にさえ熱い情愛が伝わった。

私程度に軽々しく取り扱える言葉ではない。
今は長じたかつての少年から直接聞くべき言葉だろう。

言葉にも鮮度がある。
誰か伝いで聞いても手垢にまみれる。

その当の少年以外に、その四つの語を正しく語れる者はいない。
幸い私は聞く機会を得た。
一生忘れないだろう。