KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

その落差に呑まれたら悲惨である

1 
こと女性が相手となると油断してしまうが、暗い夜道と野蛮な男だけが恐いのではないと知っておかねばならない。

女性イコール善良なものという刷り込みが男子校生には根強く、そんな幻想など持ち合わせてないよと手だれ練達を気取る者であっても、男性に対するより警戒心を薄めてしまうことは間違いない。

善良さをその本質とする女性も確かに存在し心当たりもあるけれど、大抵は時と場合と相手、すなわちTPOによって使い分ける装いみたいなもの、擬態の一種に過ぎないと見ておけばいい。

人を見る目を養っておかないと取り返しがつかない事態に巻き込まれかねない。

最初は愛想よく甲斐甲斐しく振る舞っていた女性が、どこかでヘソを曲げたのだろうか、皆の足を引っ張り、陰湿な嫌がらせを繰り返し、小ウソをつき、あらぬことを吹聴し、などといったヒールの度合いをエスカレートさせていくことは決して珍しいことではない。

そのような人は大体自分のことしか考えていない。
新聞沙汰になるような事件引き起こす素地持つ女性は実在するのである。

2 
海老江駅ではエスカレータを降りたところが女性専用車両となっている。
何とかエスカレータを駆け降り電車に間に合った。
しかし目の前は女性専用車両なので、1つ後方の車両に走って向かう。
最後尾の女性車掌と目が合ったので手を上げちょっと待ってくれと合図を送る。
しかし一歩踏み入れんとしたまさにその瞬間ピシャリとドアが閉められJR東西線は私を見捨て発進した。

最後尾の女性車掌が半身顔を出しホームの安全確認をしている。
その顔が近づいてくる。
今まで気づかなかったが何て酷い顔なのだろう。
土壁に割り箸で描いたかのよう、へのへのもへじを上回るほどに貧相で閉塞的な顔だ。
地底を浮遊する無表情。
南無阿弥陀仏

しかしこのようであってさえ、地上勤務の時は笑顔でペコペコ愛想いいはずなのだ。

どっちが真実の顔かなんて、幼稚な疑問である。

この落差、両立不可能であるはずの乖離的要素が平然と同居するこの落差こそが真実なのだ。
南無阿弥陀仏

3 
夜の総武線下り電車でみた光景である。
20年ほど昔の話だ。

座席に座る私の真ん前に男女一組が立っていた。
女性は腕に傘を掛けている。
電車が揺れる度、混み合った人の波とシンクロするように傘が揺れる。

大卒の新入社員と短大卒の先輩女性といった雰囲気である。
同じ職場なのであろう仕事や同僚のことなど他愛ない会話が延々と続く。
そして揺れる度、傘が動く。
傘が動き、おそらく後輩君の心も揺れる。
凡庸で陳腐な会話がなされる水面下では、全く異なる呼応が傘の振動と新人君のアメフラシとの間でなされている。

電車は揺れ続き、傘が動き、悩ましい刺激によって新人君の何かが決壊し崩れてゆく。

いつしか会話はなくなった。
船橋だったか津田沼だったかに着く寸前、先輩女性が後輩君におやすみと耳打ちする。
しかし先輩女性は立ち去り際、後輩君の手を取った。
後輩は何の抵抗もなくそのまま連れられ一緒に降車していった。

一丁あがり。
これぞアイアイ傘の物語と言えるだろう。

新人は狙われ、傘でひとさすりふたさすり、あっさり先輩女性の手の平の猫君となった。

彼が軽傷で済み無事生還できたことを祈りたい。
アーメン。

4 
相手によって態度を激変させる俗物男子と言えばそれぞれ思い当たる誰かが浮かぶだろうが、女性となるとこれは思い浮かぶ程度では済まず町の通りや公園などあらゆるところで見かけることができる。

身に付けるもの、社会的ステータス、学歴、体型、容姿など相手の見かけや属性によってコロコロ態度が変わる。
完全に見下す場合には目も見ない、話しかけられても聞こえないふりをする。

多かれ少なかれそのような態度が出ることはあるけれど、それでも婉曲的な対応の上下差がやんわりにじむくらいであり、断定的で決然とした変容ぶりはおぞましいとしか言いようがない。

ご主人が有名企業にお勤めであればそこの奥様にはニコニコ丁寧に接し、何だか分からないような会社であれば、能面の無表情でかわすか、もしくは険しいような仏頂面で通り過ぎる。

ぷっと笑ってしまうけれど、そんな人が実在するのである。

そして繰り返すが、どっちが真実の顔なのだ、と頭を抱えるのはナイーブすぎるのである。

その落差こそが真実なのである。
いまは笑顔で接していても、いつどのようなきっかけで手の平を返し、悲惨なほどに失礼な対応されるか分かったものではない。

そのような落差を自らに許し増長させる性格というのは、あさましいほどに我が身だけがとびっきりに可愛いといったような自意識過剰と根本的な自信の欠落を背景としているので、それに万一にも付き合わされることは、心正しく満足感持って生きてきた男にとっては苦痛以外の何ものでもない。

だから、せっかく真面目にコツコツ生きてきても、そのような女性を引き当ててしまうと全部チャラで台無しとなりかねない。
神社のおみくじで大凶引く程度の話では済まなくなるのである。

落差を感知すれば近づかないことである。
人をこき下ろすような言葉遣いが見られ、趣味や持ち物がスノビッシュで、周囲の目をやたら気にして、テレビや雑誌の影響を受けやすいような人であれば、過剰な自己愛が自尊の欠落か自己懐疑の不安によって損傷を受けている人とみて間違いない。

これを支えるのはさぞやたいへんなことであろう。
できれば、ほどほどの自己愛で安定した自尊心のある人と暮らしたいところである。