KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

自由が一番大事だろう

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唐突な死の報せであった。
その朝、電話で話したばかりである。

話している最中に他の電話がかかってきたので、また後で、と不躾に電話を切った。
その際のやりとりが蘇る。

間接的な情報が届いただけであり死因は不明のまま、しかしこの唐突さは自殺に違いないと流れのまま茫々とクルマを運転する。

ある業者が仕事したお金を払ってくれない、という話であった。
おそらく、業者さんは空ッケツで支払う余力などない様子であり、この場合、世の矛盾であるけれど払わない者勝ちの力学が働く。

26日まで待ってくれと相手が言っているならそれまで待ちましょう、弁護士の先生を紹介しますよと半ば及び腰で対応するより他なかった。

一体、私に何ができるだろう。
そして、高々数十万の未払いについて、趨勢決まった後になってまで真剣に取扱ってくれる弁護士などいるのだろうか。

町の津々浦々、どこであっても目に触れるくらいに、弁護士の数は増えた方がいい。
市井の方々の精神的な窮地を救うため町に数多くひかえる弁護士が代理人として具体的な対策を施し町医者が精神的な部分についてケアする。
そのようであれば経済的な問題を背景にする自殺は目に見えて減少するのではないだろうか。

結局、おって詳細が入ってきて、自殺ではないと分かった。

少しほっとし、同時にそんな自らの感性におののく。
その人が亡くなった事実は変わらない。
私が原因の一端ではないと分かっただけのことである。

運転中に脳梗塞が原因で亡くなったということであった。
50過ぎたばかりの年齢であり、ついさっきまで元気な声で話していた。
余波として他を巻き込む事故など大過なかったことが不幸中の幸いであった。

猛暑の夏である。
水分をとらねばならない。
コレステロールを下げるため、こぞって田中内科クリニックにて適切な薬の処方を受けなければならない。


日曜早朝、公開テストに臨む二男に算数を教える。
教えるといっても、付箋貼ったいくつかの箇所の質問に答えるだけのことである。

家内が朝食を運んでくる。
おかしら入りの鯛のスープを揃ってお代わりした。

前夜義父と呑んだ7本のビール疲れが癒えてゆく。

かっーと熱い息はいて、二男は塾へ向かい、私は事務所へ向かう。


仕事の合間、次の波が来るまでの待機時間、DVDを観る。
「人生の特等席」、クリント・イーストウッド主演の映画だ。

たった一つでも大事なメッセージが伝わるならばそれで映画は全部OKだ。
やれ、描写が薄い、人物が型通りすぎる、ご都合主義、起伏にかける、などあげつらい、誰かの失点は我が得点といった不毛なゼロサム論評して悦に入るタイプは苦手だ。
どのような映画なのかネットで予習しようと検索すると、そのような不機嫌で偉そうで屈折した感性ばかりに出くわし辟易する。

とても良かった、ここが最高だよ、君は素晴らしい、ネットの世界が機嫌よいやりとりできる公共空間となるにはまだまだ時間がかかるのだろう。

「人生の特等席」は素晴らしい映画であった。

野球こそが人生の全てというスカウトマンの父、その父の影響で野球のことなら何でも知ってるという娘の交流を通じ、人生の特等席というものが何であるのか、観る者の心に染み込んでくる。
大切な何かをふと振り返り、温かな余韻に浸ることができる。

ジーンとくるだけでなく、痛快でもある。
あのピーナッツ売りが実は剛腕であり、傲慢な超高校級スラッガーのバットが空を切り続けるシーンには胸がすく。


行政による事業所調査となれば、何を措いても立ち合わなければならない。
他の仕事の予定や進捗具合に影響が出るけれど、こればかりは仕方がない。

プロ野球で乱闘騒ぎになった際ベンチ裏でくすぶっている訳にはいかずとにもかくにも現場に駆けつけなければならないのと同じことである。

このような不測の事態があるので、結局休息の時間など消し飛んで行くのであった。


遅れを挽回するため風雨に抗うように気張って仕事しすぎて余勢すら失いへばる。
こんなときはD・V・Dだ。

「アルゴ」をやっと観たのであったが、これはもう私の中でも屈指の名作となった。
どこまでが実話なのかといった話はどうでもよく、普遍的な寓話として、人として大事にせなばならない物語であろう。

一歩間違えれば残虐な死を免れないという差し迫った状況から意を決して脱出を図る。
このプロセスのひりひりくるような緊張感は身悶えするほどである。

幸運が重なりすんでのところで追っ手をかわす。
そしてラスト、えもいわれぬカタルシスに震えるのだ。

自由が一番である。
安堵し登場人物らを労うような気持ちとなり、気付く。
私たちが暮らすこの世界の有難さ。

指導者の意思に忠実かどうかなど問題にされず、反体制だと首括られクレーンに吊るされたり、顔面覆われて銃殺などされたりしない。

そうそう、私たちは、有史以来、無数の人類が乞い願ったような自由な世界に身を置いているのである。
普段そんなことなど忘れ、どうでもいいような些細な事柄に頭を抱えているけれど、はるか見渡し自らを俯瞰すれば、何と素晴らしい世に命を授かったのだろうと感慨ひとしおとなる。

せっかく、自由なのである。
何も好き好んで、それを共同体に差し出し献上し、拘束され掟やルールに雁字搦めにされ、箸の上げ下ろしにまで目を光らされといった、前近代的な環境に身をおくことはない。

自由という観点は当たり前すぎて見過ごしにされてしまいがちだが、人生において最重要な価値であると知って大事にせねばならないことだろう。

追記
さて、今日は結婚記念日であり、クルマのナンバーもそれにちなんであったことなどこれまで私を除き誰一人として気付かず、今明かしたところでそれがどうしたというものに過ぎずなおかつすぐに忘れ去られるのも承知のことであるが、まあ、一生懸命仕事もしたし、今日はワインでも買って帰ることとしよう。