KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

今日も素晴らしい日となりますように

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朝3時、支度しようと起き上がると二男が目を覚まし寝ながら手を振ってきた。
静かに手を振り返し寝室を出る。
昨晩、勉強の中途でダウンし仰向けになってのびて昏睡していた長男もいつの間にかベッドに移動し寝入っている。

今週はエブリデイ、朝4時の事務所入りとなる。


市内へと急ぐタクシーらに混じり2号線を東に進む。
このような毎日について考えてみる。

これだけ仕事する生活は果たして幸福なのだろうか。
自分では分からないだけのこと、実は不幸の一本道をまっしぐら突き進んでいるだけのことではないのか。


何の義務も責任もない悠々自適な生活を思い浮かべる。
いつまで眠っていてもいい。
起きれば散歩するのでもいいし、泳いでも走ってもいい。
さて、朝食はどこで食べようか。

思いついたところへ出かけ気が済むまでそこで過ごす。
次はここへ行こう、来月はあそこがいい。

好みの食事処で夕飯を済ませ映画でも観ながら酒飲んで眠たくなれば寝る。


まるで定期試験中の学生の夢想レベルである。
試験が終わればアレしてコレして、そう想像し前屈みになりウッハッハとにやける。

しかし振り返ってみると、試験終わって一瞬解放感を覚えても永く続くウッハッハ感など幻想でしかなかったと気付く。

これと似たようなもので、思い描くようなふわふわ生活も一歩そこに足を踏み入れれば同じ事、地球の引力から逃れられないようにたちまち異種の重しがのしかかる。


安定した忙しさの日々、脳はほど良い活性状態に保たれ、どこからどうみても溌剌元気だ。

もし自らに矢継ぎ早に降り掛かるあれやこれやが激減し、ゆるゆるとなれば間違いなくその活性は失われ、停滞感に戸惑いそしておそらくは自ら何か課題をこしらえようとしてしまうに違いない。

暇であればあるほど、人はろくなことを考えない。

何を食べる、何を着る、頭髪が薄くなってきた、腹筋を鍛えたい、女子にもてたい、マッチョになりたい、などといったどうでもいいことに思考の焦点をあて、ああでもないこうでもない、と大の男がかかずらうことなのかといったちんまい話に精力を注入してゆく。

はたまた、卵が先か鶏が先かと誰も関心持たない、答えが分かったところでどうでもいいような、脳みそエンジンふかすためだけの不毛な自問自答に明け暮れることになる。

これはどう考えても、おいたわしい話である。
もらい泣きしてしまう。


別段、つらくない。
むしろ力みなぎる毎日だ。

心配事がある訳でも、誰かにのしかかられているわけでも操られている訳でもない。
誰に強制される訳でもないので、いつやめたって構わないし、それでも何とかなる。

ならば、元気な間は、どんと来い、とことんやるだけやろう。
それが当たり前のことのように思える。

とことん仕事してきた祖母や父の姿が浮かび、私の背中を見る男子二人の視線も感じる。

アホになるわけにはいかない。

悠々自適、やってやれないことはないけれど、男子二人の父である立場でそんなことする害についても検討しなくてはならない。
一人のエゴより、その連続性の方がはるかに大事なことのように思える。
つなぎに徹する我が家の打線に切れ目はない。

私や家内が、どこまでも軽く遊んでフラフラしているようであれば、子らは情けないようなアホ面晒す残念極まりないクルクルパーになっていたかもしれない。

子らの姿が両親を映す。

ずっーと真面目に働いてきた。
これからもそうだ。
その蓄積が、具象化される。
グッとリキ入った子らの面構え、何とか日銭に困らない生活。

正しい道を進んでいる、そう結論する。

事務所前にクルマを停め、コストコで家内が買って来た水やらを肩に担ぎ搬入する。
今日もいい一日となりますように。