KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

相手のことを思う

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ケーブルテレビのCMはクドくて長い。
さっきからずっと腹筋を鍛える器具についてその効果のほどを延々と連呼している。
引き締まった腹筋の実例が映像にこれでもかと繰り出される。

腹筋なんてよっこらしょと横たわれば誰にだってできる。
場所もとらない。

そんなことすら億劫な人がマシンがやってきたからといってこまめえっちらえっちら精出すなんて考え難い。

思いつきで衝動買いする人に対し手を替え品を替えお金使わせるゲームのような感覚で商売主は取り組んでいるに違いない。

4,900円の3回払いで見惚れるような腹筋が手に入る。
数々晒されるパーツとしての腹筋がだんだん大人のおもちゃのように見えてくる。

使い道はあまりなさそうだ。
しょーもない。


うちも偉そうに言えた口ではないが、聞くところ近頃はずいぶんと過保護な母が増えたようである。

一見、男同士の付き合いに見えても、背後にはお母様が控えていて情報は筒抜け、バックに大国がついて自由の利かない小国の傀儡政権同士の付き合いのようになってしまう。

少年らによって取り交わされた約束が大国の一存で反古にされる。
男なら誰だって経て来たような他愛のない遊びについてまかりならんと禁止令が出て、発案すらもあらやだわーと唾棄される。
至極しょーもないことだと言っておこう。

今後ますます男子の道は険しく厳しく、勉強だけできたところでお荷物邪魔なだけ、その上おかんの操り人形となれば前途果てしなく暗く、一体そんな男が世のため人のため何ができるというのだろう。
強きを挫き弱気を助け関わった誰かを幸せにする。
止めてくれるなおっかさん、すべてはそこから始まるのである。

そうでないなら、とっちゃん風情になってまでも密室でママ、ママとお背中流してお手盛りにてご満悦あれ、である。


小学生の頃、町で見かけてかっこいいと憧れたお兄さんの姿を突如思い出した。

銭湯にポルシェで乗り付けるその眼鏡のお兄さんは脱衣所でおっちゃんら相手に垢抜けたかのような説法をしているのであった。

焼肉屋などの経営についての心得や法律を語り、おっちゃんらは感心し頷くばかり。

記憶たどって類推するにその兄さんは書類屋だったのではないだろうか。
きっとそのようなものだろう。

こましな知識をひっさげ場末では誰にも負けない、そうであれば何とか工夫と算段すればポルシェくらいには乗れるはずだ。

昨日、みずきの湯に入るまでに、各方面様々な業種の方々と電話で話し、横でじっと聞き耳立てていた長男が私に聞いて来た。
父さんの仕事って、なに?

その言葉が引き金になって、かつて子供であった私が見た、脱衣所でおっちゃんらに話す「私自身」を思い出したのだ。

そう、私はそのような者になりたかったのだ。
ポルシェには全く興味がないが、いわゆる自己実現を果たし夢はかなったのかもしれない。
よくよく考えてその実現に気付く、夢の達成としては理想的かもしれない。


お客様第一主義を声高標榜する会社のテレビCMをみて人として少し気恥ずかしさを感じてしまう。
そんなこと臆面もなくよく唱えられるものだと感じつつも、そのような大義を掲げることで社員が触発されることもあるだろうし、そのようであると信じる顧客との共同作業によって案外自己成就的に正の効果が実現するものなのかもしれない、と思い直す。

通常、顔の見える付き合いの中でお客様は神様ですといった信念を聞こえよがしに発っすれば、かえって信用を失いかねない。

本当にそうであるのかどうかは、いつだって事後的に分かることであり、「ああ、あいつはほんまにこっちのこと考えてくれてたんやな」としみじみと振り返ってこそ身に沁み、当人ではないその人が、あいつはお客様第一主義やで、と触れ回ってこそはじめて評価が確立される。

決して自分で言う事ではない。
しかし、自然発生的であるはずの人づての評判構造すらも今や利用手段とされ、「お客様の声」として強く積極的に援軍として用いられる。
見識ある人であるならば、「お客様の声」など眉に唾する対象だろうが、確率の観点でみれば、どれだけ胡散臭くても一定数は鵜呑みにする方々が現れる。
だからこそ、効果的だと広告の決まり手として当たり前のようにあちこちで見られるのだろう。

「私は顧客第一主義です、お客様の笑顔が見たいのです」などといった平板で何の意味もないフレーズを、君たちは口が裂けても言ってはいけないし、そのようなことを言わされる立場になることも回避しなければならない。

顧客第一主義など当たり前のことであり、そんなことは胸に秘めて仕事に取り組むことである。
言えばそれで分かってもらえたような、甘えた仕事する三流に成り果てるだけである。

そのようなことは一言も言わずとも、例えば我らが田中院長も、鷲尾先生も、天六のいんちょも、接した人すべてが深く何かを感じ取り、以後長く頼りにするという有り様について虚心に考えれば本質が何かすぐに分かることだろう。

相手にどう思われるか以前に、まして相手にどう思わせようかなどチラリとも脳裏に浮かぶはずもなく、役立てれば職業冥利に尽きるし、役立てないのならばではどうすべきか考える、そのようなシンプルな心構えのもと最善を尽くす、その姿勢だけが大事なことなのである。