KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

マッチの火はあっさり消えるが星の光は消えない

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飲み会明けで木曜朝は少しゆっくり目の出勤となり、ちょうど淀川大橋を通過するあたり、地べたの建物との比較効果で相当なでかさに映る太陽が昇りはじめ、反照の波紋に一瞬見とれ何とも安らいだ気持ちとなる。
地球スケールの広々感といったようなものに包まれつつ昨夜の余韻にひたる。


星のしるべ33期夏会は総勢20名の参加となった。
堂島の蟻月3階、縦に並ぶ3テーブルを占拠し、サプライズ飛び込み参加も含め懐かしい面々が顔を揃えた。

私自身は全方位見渡せる最末席の端っこに腰を据え、皆の賑わいを肴に静かに過ごす。
疲労のピークであった。
昔話などをゆりかごに、船を漕ぎつつ酒を飲む。

この居心地の良さは一体何であろうか。
同門のよしみ、同じ釜の飯を食った者らが醸し出す、勝手知ったるシンパシーのようなものがふんわりとした空気の繭を組成するのだろう。

だから、何十年ぶりで前に座ったミキとの会話がいきなり猥談であっても、しかも相当にケツの青い粗野な内容であっても全く違和感なく意気投合し、それぞれの探訪の旅路を労い合い結局たどりつくのは友達のもとだったよねと心の中で固く握手し抱擁し合うことができるのだ。


そのシンパシーは、我々の主要な活力源として決して軽視できるものではない。
同じ学舎で過ごした我々は各人各様てんでばらばらの道へと進んでいるが、もしかしたら、私は彼のようであったかもしれないし、彼は私のようであったかもしれない、といったように、すべての運命を等価に受け止める謙虚さ、運命の前に厳粛に佇み互いを思う連帯感を生んでいるはずであり、それによって、ともすれば素寒貧なアカペラであってさえも荘厳な伴奏で彩られる。

もちろん、私がグランフロントに住むことになったり、匠の技と絶賛され口の端にのぼるほどのプレゼンを披露したり、義憤にかられ故郷の駅で辻立ちしたり、といったことをしていたかもね、という皮相な話をしているわけではない。

かつて島田が語った話をたまに思い出すが、彼は大学に入って以降、死ぬほどの勉強を積んできたという。
グローバルな世界に出てからはさらなる屈強に伍するため、死ぬ以上の思いで研鑽を積まねばならなかった。

島田ほどには友人らの細々した話を記憶はしていないが、その話を忘れることはない。
そして、その話のエッセンスはついこの間芦屋の阿部から聞いた彼自身の錬磨の過程とも驚くほどに通底しているし、他のみなについても同様であると気付く。

そう、それは島田だけではなく、もちろん、島田と比べて誰がどう、という話では全くなく、それぞれが、星光で培った勤勉さの最上最良の部分をもって社会で大奮闘し、持ち堪え、何とか44歳の通過点において無事生き抜いておりまだまだふてぶてしく世にコミットしていく余力溢れみなぎらせているという点で同じことであり、だからこそ心頼もしい何かを交感し合えさっぱりとした幸福感を共有できるのであろう。

つまり、集まって黙って座って横顔見ながらそこで一緒に飯を食う、それだけで十分なのだ。

マッチの火はひと吹きあっけなく消え去るが、星の光は消えない。
さらに煌々とまたたき続ける、そう確信できる夏会となった。

次回冬会は夏会の残予算があるので、豪遊となる、らしい。