KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

人生があと残り僅かだとするなら


家の窓が破損するのではとハラハラするほどの強風吹きつけた嵐の夜が明け、台風迫る町の様子を目に納めようとあえて電車で事務所に向かおうとするが、雨ざらしのホームを避ける人の群れが改札やら通路にうごめきごったがえし、運行情報について何も情報なく電車が来る気配もない。

躊躇することなく踵を返して家に戻りクルマで通勤することにした。


テレビのニュースでは不慮の災難に見舞われた方の訃報が伝えられる。
71歳の方だという。
ご高齢の方だと瞬間感じてふと自分の親父と同じ歳だと気付く。

日常の感覚のなか時間は止まっているかのようだが、押しとどめようもなく流れ、よくよく考えれば両親はもうすでに高齢の域に達しているのであった。
刻一刻、老いのその先へと至りつつある気持ちを想像してみる。

先の先ではなく、いつ死んでもおかしくない。
歳を経るごとにその確率が増大し、見渡せば同世代にお迎えやってくる話ばかりが聞こえてくるようになる。


電車が動き始めた頃合い、台風の影響で集結特訓が休みとなった二男が事務所にやってくる。

ラーメン博士の登場とあらば、付き合わねばなるまい。
この日のラーメンは、西九条の白馬童子
カウンターに二人並んで「しあわせラーメン」を食べる。

無言で店を出て、信号待ちする。
青に変わって踏み出した瞬間、二人同時に言う。
うまかった。

台風一過で空は隅々まで明瞭な青に染まり、町は輝くかのような光沢を放つ。
湿気はじけた涼風が爽快の度を更に際立たせる。
空気にあたることがあまりに気持ちいいので、二男と界隈を練り歩く。

夏の熱気が体内から徐々に消失し、かわりに冷気立ちこめ、だからこそやたらと人恋しく、ありとあらゆる全ての映りがその鮮明さを増してゆく。
もっとも美しい記憶が残る季節と言えば秋であろう。

今年の秋の名場面は東京あたりで採取しよう。
銀座から日本橋人形町、水天宮あたりを歩き、また、お茶の水から飯田橋、麹町、市ケ谷あたりを散策する。
アトラクションや新参の目玉施設などには一瞥もくれず、その地でこなれた平凡な風景のなか家族連れ立って過ごすのだ。


マイホーム・ジャングルという言葉をはじめて耳にした。

転職の挨拶に訪れた同年代の知人から居酒屋で話を聞く。
疲弊したような表情について心配すると寝不足なんですよと彼は笑った。

転職すると決意してから女房とうまくいっておらず、恐怖の魔神と化した相手から逃れるため狭い家の中を転々とし寝床を探すという。
食洗機の振動と音に耐えつつキッチンテーブルの下を寝床とするなど、我が家の中なのにまるでホームレスのような過ごし方をしなければならない。
寝床を無心して誰かに迷惑かける訳にはいかず、外泊する経済的な余裕もない。
ソファで眠れれば僥倖だ。

信じてついていった上司にはしご外され、人の人生を何だと思っているのだと一言反発した途端、露骨に窓際に追いやられた。
気がつくと不穏な白眼視に取り囲まれるような孤立無援状態に陥っていた。
もうどこにも居場所がない。

落武者風情の分際でうっかり亭主面などしようものなら山の神は見過ごしはしない。
世間という開放系では丸み帯びるエゴであるが、家庭という閉鎖系では櫛状に侵蝕されて先鋭さを増す。
倨傲極まるエゴが精神の首座を占め、本人ですら制御できないのであるから、誰か素人に処置できるはずもない。

虚実綯い交ぜ幸福色に粉飾された虚ろな暮らしが馬脚を露わし、荒ぶる魔神は血筋浮かべて刮目し剥き出しの枯野に嵐吹き荒れ雷鳴が轟く。

逃げの一手しかありません、と彼はまた笑った。

万一寝たきりなどになってしまえば何をされても逃げられない。
そこでTHE END、野生のジャングルと同じこと。
穏やか過ごせるくらいの甲斐性になるまで忍の一字で持ち堪える、それが彼の抱負であった。

互いのエゴが調和しないのだとすれば家は広い方がいい、またはいっそのこと家などない方がいいだろう。
彼の姿がペットショップの水槽でザリガニと同居させられるメダカみたいに思えてくる。
誇り高きメダカもザリガニ相手では一矢など夢のまた夢。
狭いジャングルなんて要は単なる刑場だ。


人生が残り僅かだとするなら、どう過ごすことになるだろうか。

死ぬまでに見ておきたい世界の景勝地をあちこち巡り歩く、一瞬そう思って、しかし思い直す。
未知の風光明媚に胸打たれ、善良な人々と交流すればするほど、更に寂しさが募るような気がする。

旅行の終わり、家路につく際に込み上がる寂寥の何倍もの切ないような気持ちに陥るに違いない。

旅を思って胸躍るのは、死期など知る由もなく先々人生がふんだんに残されているからであって、間もなく終幕となれば、ただただ寂しい。

己が来歴を回顧しつつ、何かを確かめるように、見落としたこと、言い忘れたことはなかったかという思いで、いつか歩いた町の通りや、もう一度会っておきたい人を再訪するような時間を過ごすのが、もっとも自らを癒すのかもしれない。
そして、何か気付けば忘れぬようにこの日記にしたためる。

そのとき、エゴなどもう用済みだ。
死に際しては無用の長物。
「私」という概念が希釈されていき、固執することなど何もなくなっていく。

心の中で誰かに詫び、皆に感謝しその幸福を願って安らかな気持ちで最期迎えられるよう心を調えてゆく。
満足感とともに清々しいような思いに至れるなら申し分ない。

両親がそのような思いで過ごすのかもしれない年代に差し掛かり、全くもって他人事ではないとひしひし痛感した敬老の日であった。