KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

星のしるべとレ・ミゼラブル


中1で「天平の甍」、中2が「レ・ミゼラブル」、そして中3になって「次郎物語」、これらが星のしるべ33期夏休みの課題図書であった。
ちょうど、阿部院長がブログでミュージカル「レ・ミゼラブル」について取り上げていて、懐かしくなった。
とても原作を読み返す時間はないので、TSUTAYAで「レ・ミゼラブル」のDVDを借りてきた。

映画「レ・ミゼラブル」を見て、私たちはミッションスクールに通っていたのだということを思い出すこととなった。
毎週一回の倫理の時間で聖書について学び、学校で唯一催された映画鑑賞は南米での布教活動を描いた「ミッション」であった。

レ・ミゼラブル」の各シーンが糸口になって記憶の断片が蘇ってくる。
この物語に込められたエッセンスこそ私たちが教え諭された内容であった。
我々は思った以上に各自各様校風に染まっているに違いない。


私は倫理の授業において稚拙狭量な屁理屈で疑義差し挟む不埒な生徒であったけれど、振り返れば、あれら授業で取り上げられた題材は、字義通り表面的な解釈で捉えたり、現象を浅薄な科学的視点で云々すべきものではなく、そこから何を学び導き出すのか深く考え咀嚼すべき「教え」であったと、40歳過ぎた今たいへんよく理解できる。

猿レベルの未開少年らが、曲がりなりにも人へと成長していく段階で神的要素に触れることは教育のプロセスにおいて相当に大事なことであろう。
人知を越えたものへの謙虚さが多少なり備わったであろうし、身に付かぬまでも慈愛の心の実在を知ることができた。

エゴむき出しの我利我利亡者へと転落せぬよう倫理的なセーフティネットが拵えられたようなものであり、良き人であろう、良き行いをしようという不滅の価値のベクトルが内面化されたのだと思えば、校是が持つ意味は相当に大きい。


仮出所し寒風のなか野宿するジャンバルジャンに寝床と食事を与える神父が登場する。
恩を仇で返すようにジャンバルジャンはその教会から金目の食器などを盗み捕まる。
ジャンバルジャンは神父の前に突き出されるが、神父は「それはあげたのです。しかも、他にあげたものを忘れている」と言い、高価な銀の燭台などもジャンバルジャンに差し出す。
この施し、神父が見せたまさに神的要素の具現によって、ジャンバルジャンは人間性を萌芽させることになる。

このような、ちょっとやそっとでは真似できないけれど、人間の善良性について私たちはたいへん多くを学んできたのだった。

昨日NHKの特集で中国が取り上げられていた。
無神論国の中国であるが、見境のない拝金主義が野放図に蔓延する一方で人心の荒廃が放置できないレベルとなり、国家政策として儒教など宗教的観念を行き渡らせる方針に転換しつつあるという。
今後中国は、仁徳兼ね備えた偉大な人物がごろごろ出現する更なる大国となっていくのかもしれない。


レ・ミゼラブル」の中では「On my own」が最も琴線に触れる。
記憶が定かではないが、この曲を初めて耳にしたのはTwiggyが歌う「On my own」であった。
一体なんでTwiggyなのか全く思い出せないがその昔CDまで持っていた。
「London Pride」というロンドン・ミュージカルの名曲集である。

Amazonで探すと中古だと1円の出品があった。
いくらなんでも安すぎるので149円のものを選び購入した。
149倍の出費も惜しくない。


昨晩、どこで夕飯食べようと野田の商店街を彷徨いつつ、ふと中をのぞくと日曜なのに空席があったので元禄寿司に入った。
どのネタであっても一皿130円の格安回転寿司だ。

老夫婦や若い恋人同士、母子家庭風の親子連れなど寿司にありつこうという地元の人で店は大盛況だ。
右隣は母子家庭風の親子連れ、左隣は若いカップル、その間の空席に座った。

カウンター越し注文すると、隣席のちびっ子少女が私のマネをする。
もちろん少女は本気で注文しているのではない。
板前さんも取り合っておらず、トレーナー姿の母親も気にする風でもない。
ただただ寿司を食べるのが嬉しい、という様子ではしゃいでいるのだ。

ジュースが飲みたいと甘える少女にジュースなんか置いてないねんと母はぴしゃりと制し、板前さんにお冷やありますかと娘に水をあてがう。
選びに選んで数皿頼みそれを母子で分け合う。

周囲を見渡す。
おじいさんやおばあさん、父子連れ、若夫婦、みな嬉しそうに寿司を頬張っている。

今日現在、まだまだ日本には幸福があふれいてる。