KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

カッコいい音楽とともに新年突入の準備は整いつつある

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ネットの通信が不安定、何とかしてくれと数週間言われ続け、やっと今朝、お家のMacとAirmacを事務所に持ち込んで様子を見た。
いろいろ試した結果、Airmacの余命が尽きたのであろうと結論する。

新年を迎えるにあたり家の電球を全部変える家庭みたいに、この際、Airmacを全部最新のものへと一新することにした。

どの日をとっても寒さ極まる年末だった。
そんなことを忘れてしまうほど今朝は穏やか、陽気の大晦日であった。

人混みが分厚くなる前、早い時間帯にさっさと梅田に駆け込みヨドバシカメラで事務所用とお家用のAirmacを入手し、近くの文具屋で新年におろす見開きA3ノートも購入した。

交通量少なく見晴らしのいい通りを洋々歩いて事務所に戻る。
まだまだ余力がある。
あと何十年でも現役で仕事できるであろうと予感する。


簡単なはずのAirmacの設定に手こずった。
うまくいかない原因を可能性レベルで考え始めると収拾つかず厭世的な気分にまみれてしまう。

Airmacからパソコンまでの手前側、あるいはAirmacからモデムまでの向こう側、と分別して考え各種パターンを比較対照し、一時間以上も煩悶せねばならなかった。
「モデムのリセットにかける時間が短すぎた」ことが設置不調の原因だと挙句に分かったところで達成感はゼロである。

2013年末日、つまらぬことに時間を費消してしまった。
そこら走って一汗かいた方がどれだけましな時間の使い途であろう。


同じような一年を繰り返しているように見え、今年ほど運動不足極まった年はない。
思い起こせば、数年前は仕事後ほぼ連日泳いでいたし、週末は武庫川を走っていた。
歩くとなれば事務所から自宅まで12km以上を連日のように早足踏破した。

今年は春に宮津、秋に熊野古道でトレッキングした程度。
水泳も数回限りで終わった。

食べてお代わり、燃料補充し仕事だけする「お食べ地蔵」街道をまっしぐらである。

炭水化物と運動不足、この二つの四字熟語とはいつか対峙し手を講じなければならなくなるだろう。
手が空けば、そのうち取り組むことだろう。
少なくとも今はどうでもいい部類のことにしか思えない。


Tumblrを再開して半年が過ぎた。
ふと目に留まって何か感じる場面を撮り、どうでもいいような注釈つけて記録する。
他愛のないそれら積み重ねも振り返って見渡せば自らの傍流の足跡が浮かぶかのようでなかなかに面白い。

世界中からいろいろな発信があって、各地の風光明媚や街の様子、絵画や映画や動物、子どもたちの表情など印象深いシーンの数々に触れることができる。
エディンバラはじめスコットランドの風景を紹介するScottish Loveを見ては、子らが大学生になれば旅行三昧、ここら辺りでは長逗留しようと夢見心地となったり、Franz Markの動物画などをチョイスし二男に送信したり、ちょっとぼんやり眺め過ごすのにちょうどいいブログサイトなのである。

その中で、lady-in-pearlsというサイトがあって、電車の中でちらと見て、引きこまれた。
世界にはこんなにもキレイな女性がいるのかと深い考えもなく目をやって、だんだんそこにピックアップされた女性らが醸すカッコよさのようなものに感嘆し始めることになった。

カッコよさは性別の範疇外の何かであり、一見、外見から伝わってくるようであって、しかし実際はもっと奥深くからフツフツと湧き出してくる。
それら被写体みたいな格好や形を真似しても、数ある印象のうちの一つの通路的な機能しか果たさず、おそらくはお寒いような的外れとなる。

一朝一夕のハリボテで取り繕えるはずがなく、万一そんな程度でその気になってカッコよく振る舞うとすれば、悲しいほどにアプローチが頓珍漢すぎて、これはもう哀れとしかいいようがない話であろう。


まもなく用事を終えて事務所を発つ。

腹に力が入って前傾姿勢となるような、地面踏み鳴らして形相凄まじくなるような音楽をダウンロードし年越しのテーマとする。
私がダウンロードすれば自動的に子のiPhoneにもそれらの曲が届くことになる。

カッコいい映画と言えば「ドライヴ」が抜きん出て有名だが、そのかっこいい面影が強く反映した音楽、例えばKavinskyのNightcallひとつとってみても当然にカッコよく、だからといってそれを聞けばカッコよくなる訳でもないけれど、少なくとも、カッコよさについて深く考えることにはなる。

それら音楽で内面のマグマ活動を更に活性化させつつ、ワッシーズでワインを買い昨年同様親父と飲む。
さてそろそろ腰を上げ向かうとしよう。

気合十分、2014年に飛び出す心準備は万端整いつつある。