KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

「運動靴と赤い金魚」で思い出すモノの大切さ


JR大和路線は当時単線だった。
小学生だった父は祖母とともに王寺駅で汽車を降り、夜も遅い時間帯、池部界隈の農家を訪ね歩き食料を調達した。
存命中の祖母に何度も聞かされたが、父は小学生ながら文句ひとつ漏らさず付き添い役を完璧に果たし祖母を支えた。

重い荷物を分け合って背負い、夜道を王寺まで歩きそして汽車で平野に戻る。
運が悪い時は検札の駅員が回ってきて、途中で汽車を降りねばならず、更に長い道のりを歩かねばならなかった。

正月元旦、親戚らが集まる場で全く脈略無関係に王寺の地が話題に上がった。
おじさん達は無邪気に王寺は遠いわと口を揃え、しかし彼らの兄である父は何も語らなかった。

年端いかない弟や妹の口を糊するため祖母とともに何度も訪れた王寺は、食料調達のロジスティックの要所であったというだけではなく、何かを堪えずには振り返られない重い意味合い帯びる土地なのであろう。
雑談ムードのなか気軽に応答できるような話題ではない。
そして、弟たちは王寺についてはもはや忘却の彼方なのだ。

君たちの祖父が食料調達のため野菜やお米は池部まで、魚介類は今は遊園地となったみさき公園まで足を伸ばさねばならなかったのは何も遠い昔のことではなく、ついこの間のことである。


「運動靴と赤い金魚」で描かれる世界は、父が過ごし生き抜いた世界と陸続き隣接している。
イランの貧しい市井を背景に登場する主人公の少年に、私は父の幼少を重ね合わせる。

靴屋で縫い直してもらったばかりの妹の靴を少年がなくしてしまう。
家は貧しく靴をなくしたとは両親にはとても言えない。
靴が見つかるまでの間、少年は靴を妹と共有するしかなかった。

マラソン大会が催される。
三等になれば運動靴が貰える、と少年は知る。
運動靴を手に入れ、靴屋で交換してもらい妹に靴を贈ろう、少年はそう考える。

そして少年は懸命に走るのだ。

映画は時折、人が有する本当に素晴らしい一面を見事ビビッドに映し出す。
だからこそ映画は見るに値し、それら良きイメージの数々が私達の内面に沈潜し折に触れ糧として浮上する。

ふざけきったテレビのバラエティなど見る暇あったら、映画を多く見ることである。
ただし、タランティーノの「ジャンゴ」みたいに、射殺された悪役の体が木っ端微塵になり、すっーと爽快感覚えるような映画はほどほどにした方がいい。

ラストシーン、父親が買った子らの真新しい靴が自転車の荷台にしっかりと結わえられている。
子らのもとにまもなく父親が帰ってくる。
擦り切れた靴でマラソン走破した少年は自分の足を家の池に浸し、幸福の象徴なのだろうか金魚が彼の足に集まってくる。

「運動靴と赤い金魚」を見れば、人に対する思いやりの心について考えることになる。
それだけでなく、日頃感覚麻痺し邪険に扱うモノの一つ一つが私達の生活の一員であり、それらに対し切実な情愛を失った不心得についても省みることになるだろう。


森博嗣に「馬鹿に金棒」というエッセイがある。

次のような書き出しから始まる。
最近、鬼に金棒を、悪い奴が武器を持つことの喩えだと勘違いしている若者をネットで見た。
馬鹿に金棒という語はないけれど、最近は馬鹿が凄いものを持っていたりする。

そしてこう続く。

「隣の人が馬鹿かどうか、なかなか分からない。
でも、もし金棒を持っていたとしたら、その金棒の使い方で、だいたい馬鹿かどうかはわかるものだ。
たとえば、非常に単純な例であるけれど、馬鹿は金棒を見せたがるが、賢い者は隠すだろう。
隠していても、持っていそうだ、という強さが滲み出る」

これほどに分かりやすい馬鹿と賢い者の説明はない。
この日記に引用し残しておくことにする。


大阪府立体育館でボクシングを見たことがあった。
ちょうど二男が1年生になったばかり、平成21年の春。
滋賀の近江八幡で花見し、夕飯に近江牛食べた翌日のことである。

間近で見るボクシングは生々しいほど身も蓋もないどつき合いであった。
テレビだとその「マジさ」加減がずいぶん薄れるように思う。

メインイベントが井岡一翔。
プロデビュー戦であった。
圧倒的な強さで拍子抜けするほどの完勝であり、子らはもう終わったのかと目が点になっていた。

月日は流れ、先日の大晦日、テレビ観戦ではあったが子らと固唾飲んで井岡の世界戦を見守った。
相手のアルバラードが尋常ではない強さであることがラウンドを追うごとに分かってくる。

こんな強い相手と大晦日に見せ場を作ろうという根性がまずあっぱれである。

試合直前、井岡の目がその落ち着き具合と集中度を如実に物語っていた。
瞬きも少ない。
風格とも言える強さが目からみなぎり、テレビでそれを見て井岡が勝つと分かった。

対するアルバラードの形相も相当なものであった。
本気も本気、一歩も引かない気合充分の表情だ。
そして、その表情通り終始一貫して、アルバラードは魔物かとも思えるほどの手数で井岡を攻めるのであった。

しかし、アルバラードがどれだけ手数を繰り出しても、どれだけ強くても、井岡はでんと落ち着きペース乱されることもなく、王者の風格、安定した戦いぶりでアルバラードを逆に返り討ちにし続けた。

相手がどのような攻め手で向かってこようが微動だにせず真っ向戦う、そのスタイルはしびれるほどだ。
アルバラードは強すぎる。
判定勝ちで十分、内容濃厚な、誰もが納得する勝利であった。
これほどのスタイルの完成度、安定感、スピード、クレバーさを兼ね備えたボクサーは今まで日本にあっただろうか。

新年を迎えるにあたり、なんとも意義ある、よっしゃと皆を景気づけるナイスファイトであった。