KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

子らに語る大事な話2


アクタを出てジュリエッタに向かう。
鷲尾先生と待ち合わせしている。
金曜日で混雑が予想されるので、家内チームが先発隊となって席を確保しているはずだ。

土曜に仕事があっても不思議なもので金曜夜は心ほぐれる。
美味しい料理を分けあい、私だけかなり余分目にワインを次々お代わりしていく。

家内チームが帰った後は仕事中心の話となる。
真剣味が増し時間はいくらあっても足りない。

閉店となり店を後にする。
U2 の Mysterious Ways を聴きながら歩く。

鷲尾先生との会話を反芻しつつ、人物、について考える。

歴史上の人物、例えば、近いところでは明治の元勲らについての逸話などを耳にする度、眉唾だ、美化されすぎている、誰も彼もが畏敬に値する人物である訳がない、もっと卑小な俗物であったかもしれないではないかと、一人混ぜっ返す習いの私であったが、最近考え方が変わってきた。

ちゃんとした人物に接すると、地続きで遡ったその昔にも、このような人物はあったはずだということに気付くことになる。

何しろこの人物、眼前にいる「現在人」が誕生する原因はもとを辿れば過去に属するのであり、源流をたどればたどるほど、その「良き実在の素」を体現した人物は枚挙にいとまがないはずなのである。

血縁の連続といった域を越えて、共通の要素を持つ人物の系譜は数珠つなぎで過去に無限連なっているに違いないのだ。

だから、現在という同時代に、尊び敬うべき人物があるとすれば、過去に比肩しうる人物がゴロゴロいても何も不思議ではないということになる。
そう考えると、過去の人物に纏わる逸話は案外実話なのかもしれない、と思えてくる。

「現在人」を前にして、その人物性は、歴史上の人物の誰と通底するのであろうか、そのような視点が生じるとすれば歴史を学ぶことも意義深いことである。

 


新進気鋭の若手イチオシの弁護士と酒席をともにする。
恐るべき活動量で多面的にその接点を各所で拡大し続ける仕事ぶりには目を見張るものがある。

話を聞けばこちらまで緊張感覚えるほどの忙しさだ。

しかし彼は言った。
忙しくても忙しいとは言わないようにしている。

忙しいと言ったところで状況は何ひとつ変わらない。
愚痴や弱音でつい漏らした場合でも、自慢と取られかねないこともある。
何もいいことがないどころか士気が下がりかねない。
忙しいなんて当たり前のことである。
誰だって忙しい。

気概、という言葉が浮かぶ。
大の男は、痛くても痛いと言わず、苦しくても苦しいとは滅多に言わないものであり、かつてはそれが当たり前のことであった。
むしろ笑って見せるくらいが、大人の心得であったのだ。

いい面構えの人物が、随所で大奮闘を繰り広げている。
好人物、魅力だらけいい男だらけの世界で、父は交流を広げ深め続けている。
まだ見ぬそれら人物群についてはこれまで同様今後も引き続き君たちに紹介していこう。
万一その機会に恵まれなかったとしても、エッセンスだけは日記に綴っていくことにする。