KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

悲観的な母親が果たす功績1


FMからNini Rossoが流れ、その瞬間、記憶の底からトミーさんの姿が突如浮かび、続いて私の不遇の数日の場面が蘇る。

トミーさんは当時の早稲田において私が知るなか屈指のモテナイ男であった。
私もモテナイがトミーさんは絶望的であった。
破れたポイで金魚すくいに執心しているような痛ましさがあった。
だからこそ、ある意味においては私にとって心の支えでもあった。

年の瀬迫る高田馬場で、トミーさんからNini Rossoのコンサートチケット2枚を託された。
「チケットいらなくなったから、おまえが誰か誘えよ」
トミーさんはNini Rossoを切り札にお目当ての女子にアタックしたがあっけなく撃沈したのであった。

トミーさんを袖にした女子の顔形が浮かぶ。
じゃがいもに割り箸4本さして腕と足とし、爪楊枝で小さくつついてそれを眼とすれば、とってもコケティッシュな彼女のミニチュアができあがる。

コンサートの日は近々に迫っている。
何人か思い浮かぶ女子に順々に電話する。
予定は合うはずだし、誰か一人は喜んでくれるだろう。

しかし、全滅であった。
つまり、あの東京の大空のもと、誰一人、私とコンサートに行く女子などいなかったのだ。
受けたショックは甚大であった。

おそらくは今後仲良くなっていくであろう、ふふ、と想像するどの女子とも、そのような未来が開けないとNini Rossoのチケットが地獄の黙示録となって私に暗示したのであった。

長じて経験積み重ねた今であれば、私が原因ではなくそのチケットが呪われていただけと冷静な判断が下せる。
しかし、どこまでも青い当時の私は、周囲の全女性に見放されたような虚無に打ちひしがれ、孤絶の淵を彷徨うことになるのであった。

Nini Rossoがどんな顔なのか、いまだに知らない。
その音楽を不意に耳にすると、ホコリだらけの電話と床に放り出したチケットの残像その他諸々がまるで眼前にあるみたいに、一人暮らしの空虚なワンルームの様子が匂いやヒンヤリした温度感まで伴って蘇る。
私にとってNini Rossoはそのような情景を喚起するトリガーのようなものとなってしまった。


1月31日は愛妻の日だという。
1をアルファベットのアイと読めばそうなるのだというFMラジオの解説に寝ぼけ眼で頷きつつ未明に車を走らせる。

相当なマゾヒストでも顔色失うにちがいないであろう忙殺の12月、1月を無事に終えることができた。
毎度恒例、今年も例外なく矢やら鉄砲やら何でも飛んでくるような中を走り抜ける60日間であった。

何とか切り抜けることができた。
この安堵感は何物にも代え難い。

業務量が増えれば増えるほど経験値が増し安定感も出るが、反面、ヒヤリとするような場面に出くわす確率も高くなっていく。

危機を回避する、というのは是非ともそうであっては欲しいけれど、夢物語であろう。

危機は必ず降り掛かってくる。


子らがスヤスヤ寝入る様子などを目にすれば、平穏無事な人生を送って欲しいと親心丸出しで願ってしまうが、そんなもの虫がよすぎる話なのであろう。

危機は等分に配せられ、それだけでなく人生に取り組むべき主題があって出る杭となるのであれば、真意確かめるかのごとくいや増しとなって危機災難が寄り集まってくる。
舗装された足元の良い道など僅かであり、大抵は地雷原を渡るような道行となる。

チェスの名人は例外なく自らの打ち手について悲観的な見通しを持つという。
楽観的だと思慮浅はかな短絡に陥り、さっさと落とし穴にはまり、繰り返し何度も同じ地雷を踏む、ということになる。
そのリスクを最小限度に抑えるため、細心の悲観的観測が欠かせない。

しかし、どれだけ注意しても、どの道、落とし穴にはまり、地雷を踏むことになる。
危機回避は不可能だ。
危機回避を図りすぎてチマチマするよりは、危機に訪れられても何とかなるという自負心のようなものの方が遥かに大事だろう。

家族や仲間から無意識に吸収してきた知恵や態度、何年もかけて自ら鍛えてきた知識やスキル、そして、体力、これらが、円転滑脱に危機を脱しまたは真っ向ぶつかり突破する根源的な力の源泉となる。
そのような観点で考えれば、どのような学びでさえ糧になると自ずと分かるに違いない。

そして、いよいよ最後には、誰もが運の尽き、となる。
そのことも知っておかなければならない。


かつてないほどの忙しさの年末年始、随所で家内の助力が必要となった。

我ら一行にとって家内は風車の弥七みたいな存在と言える。
ここ、という時に状況を一変させる働きを見せる。

仕事ぶりはそこら若造を凌駕する。
来た球を打つ、という天才打者の打撃論に近いような仕事術である。
書類をねじ込んでくる、その目的まで一直線。

案ずるより産むが易し、と無思考で構えるのではなく、何かあっても次の打ち手を繰り出せばいい、というタフな心でまっすぐ前に進む。
シンプル・アプローチとでも名付ければいいだろうか。

何か間違いを指摘されるのではとビクビク構え、ちょっと指摘されだけで、あはん、うふんと行儀よく書類持ち帰ってくる若造は見習った方がいい。

強いハートの弥七の力はこの先も不可欠であろう。
私に対してだけは手加減して欲しいなんてどさくさ紛れに言ったところでそんな願望は贅沢にすぎるだろう。