KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

悲観的な母親が果たす功績2


月末を切り抜けた感慨に私がふけっている同じ時、家内は長男の同級生のママ友らを我が家に招き歓待していた。
遠路はるばるやってきたママさん達はおもてなしの真髄に触れ感極まったことであろう。
そして、ここの夫がやせるはずがない、と理屈ではなく身を持って理解できたに違いない。

長男が入った学校が起点となって、そこから人のつながりが生まれていく。
見ず知らず同士が、長く連絡取り合う仲になる。
これでこそ人生である。

我が家の未来を切り開く上で家内が果たす役割は決して小さくない。


子育てにおいては、悲観的観測が不可欠になる。
取り返しのつかない最悪に備える危機管理として、悲観論ほど有用なものは存在しない。

もちろん、のべつまくなし悲観的であれば気が塞ぐだけの毎日であり陰々滅々、とてもやり切れない。

心の真ん中には、子らは加護されているという確信的楽観が備わり揺らがず、一方で、その周囲は完全防御の悲観を張り巡らせるといった在り方が理想だろう。

悲観論こそが「最悪をイメージ」して「ちょっと考える」習慣を根付かせる。


子供に振りかかる災難や悲劇の大半は、間違いなく親の楽観論が引き金になっている。

母親がパチコンを楽しみ、車中の子が熱中症で亡くなる。
母親がちょっと出かけた留守の際、家が全焼倒壊し子供たちが遺体となる。
子を一人歩かせ、そして行方消息が途絶え、もう一生会えなくなる。

痛ましいことであり、厄災に見舞われた当事者に追い打ちかける気持ちなど毛頭ないけれど、楽観がベースとなって生じる悲劇については直視し未然に防げるよう私達は肝に銘じなければならない。

確率的には稀有なことであろう。
しかし、子を残し家をあけ、そのタイミングで東南海地震が起こる、といった程度のことは起こり得ると考えるべき範疇の事柄であろう。


家内には悲観的観測を程よく織り込む習性が備わっている。
悲観的信号が発動すれば、いてもたってもおられず解決できるよう直ちに情報を集め行動を起こす。

卑近な例で言うと、西宮や上本町数あるなか良い塾との出合いもそのような行動過程を経たからこそであった。
手垢とバイアスにまみれた二次情報、三次情報は本当にあてにならない。

うちは一次情報にあたる。
他人のいい加減な話を鵜呑みにして何か大事なことを決めるなどあり得ない。

何であれ、一次情報に直接あたるのが、鉄則である。
仕事でもそうだが、同業者の誰々が言っていたという話を鵜呑みにし、役所やその上位の行政機関に直接確かめることを怠れば危なっかしいことこの上ない。

疑問を感じた際に、その疑問を持て余すのではなく、すぐに一次情報にあたる。
ああでもないこうでもないと逡巡する時間の無駄が省けるだけでなく、正しい選択ができる可能性が高まる。

直接話を聞きに行く。
これで、大抵の疑問は雲散霧消する。
「ちょっと考えれば」手段はいくらでも思いつけるはずだ。


月末の夜、法善寺の銀丸で「アポロの会」が催された。
アポロ会、その名称を深く考えても意味がない。

天王寺のアポロにゆかりがあって知った顔であれば何でもいい。
ゆかりといっても、アポロの中や前にクリニックを構える、アポロをよく通る、昔アポロで映画を見たことがある、といった程度で十分。
そのようなアポロつながりで、一席設けられた訳である。

前の席に美人税理士が座り独身だというのだが、私の両端には精神科医が腰掛け、左右両隣で横並びで会話し続けることとなった。
前を向けない。
かつての日本代表のフォワードみたいなものである。

大暴れする患者であっても適切にクスリを処方すれば人が変わったように大人しくなるという。
若いほどクスリが効きやすく、しかし年取るとレセプターが減少するのか耐性が増すのか効き目が悪くなる。
症例を見極め、年齢など諸条件を検討考慮し、最適なクスリを処方するのが腕の見せどころだ。

精神科医と言えば「精神」という冠から人の深層に「メス」を入れ人間の真実に迫って診療する職業だと単純なイメージを持っていたが、話を聞いてずいぶん印象が変わった。
「精神」という目に見えない広大無辺な世界を取り扱う科学者というより、「脳疾患」により生じる不都合な症状をクスリなどによって対処的に緩和するというテクニカルな役割を果たす専門家と捉えるのが的を得ているようだ。

10
銀丸の料理はどれもこれも美味しかった。
カネちゃんの行きつけだそうだ。
今度、我が家で乗り込むつもりだ。

お開きとなり、明日から子連れで旅行だ、朝が早いのだと言うと、おみやげの鯛めしを餞別として皆が提供してくれた。

鯛めしがどっさり入った袋を持っていると、天六のいんちょが横から手を伸ばしてきた。

反射的に身をかわす。
ダメだ、これは子に食べさせるため皆がくれたのだ。

そして、酔いの頭でワンテンポ遅れて、自らのエゴに気付く。
可愛らしい盛りの「りょう」のことを忘れていたよ、いんちょ。
悪かった。
恥じ入るばかりだ。