KORANIKATARUTOKIDOKI

子らに語る時々日記

夏の終わりに映画を通じ歴史を学ぶ


何年も前、家族4人で尾道を訪れたとき、子らが耳を澄ませて言った。
あ、ツクツクボウシだ。
地元西宮ではその鳴き声を耳にすることがないという。

そして子らは一目散に駆け出し、尾道の旅の出だしはセミ取りから始まったのであった。

私自身は蝉の音色には不案内でどれもこれも同じにしか聞こえないが、種類によって異なりまた同じ夏でも時期によって異なるという。

夏の序盤をアブラゼミが飾りその勢力がミンミンゼミに移り、中盤にはツクツクボウシが鳴き始める。
そして終盤、カナカナカナとヒグラシが鳴き、夏が終わってゆく。

今年、地元での蝉の鳴き具合はどうなのかと長男に問うたところ、アブラゼミばかり、たまにクマゼミが鳴くだけだというから、味も素っ気もない。

お盆を過ぎまだまだ暑さ止まぬ日が続くけれど、日陰に入ると思いがけぬ涼風が頬をかすめ季節移ろう秋の気配に陶然となる。
いつかどこかの山村で夏を過ごし蝉の情緒も味わいたい。


外回りの途中、どうしようもないほどの倦怠を覚えたのでみずきの湯に向かった。

お盆休みの間、休みボケせぬよう最低限の仕事はこなしていたが、それでも無意識裡にあちこちスイッチがオフになっているのだろう、どうにも仕事に向かう際に切れがない。

打てる球なのにつまって凡打し、守っては目の前のボテボテのゴロにピクリとも反応できない。

いくら疲れが抜けても休みボケが全身にまとわりつけば稼働は妨げられる。

このようなときは岩盤浴で対処するのがもっとも効果的だ。

数種の岩盤にカラダを横たえ、仕事を思いつつも弛緩の極地でたゆたえば、いつしか心身が適切に「初期化」され、再びサクサクと仕事こなす状態を回復できる。


根こそぎ汗出る熱波風呂まで満喫し、休憩室のリクライニングに寝そべっていると、見慣れた顔が現れた。
全く予期せぬことであった。

長男と家内だ。

塚口のアレグロでピザを満腹食べてきた、腹膨れたので休憩室で休んでこれから岩盤浴に入るのだという。

夏休みなのに休みのない長男であった。
久々の休みを利用し、家内と長男、二人で平日デートというわけである。

合流することにした。

しばらく並んで休憩室のテレビに見入る。
広島での大規模土砂災害が報じられている。
なんと痛ましい出来事だろう。
犠牲者の方々のうちお一人としてまさか我が身にこのような災難が訪れるなど夢にも思わなかっただろう。

一寸先は闇。
厳粛な気持ちとなる。
いつ誰の身に起こっても不思議なことではない。

ここ阪神間も細長いエリアが山と海に挟まれ、幾筋も川が流れている。
自然の気まぐれでどのようにでも木っ端となる甚だ心もとない地域である。


そしていよいよこの日二回目の岩盤浴に臨むこととなった。
名物熱波風呂にも二回入ることになる。
ここまでくれば癒し通り越し、枯れるまで汗かく荒行というしかない。

最も放熱がソフトな睡眠房に横並びとなり、昨晩長男がガーデンズでみた映画について聞く。
マレフィセント
おもしろくない訳がない、というのが長男の感想であった。

休憩の際、冰冰花のマンゴーかき氷で冷を摂る。
何かおすすめある?と聞かれたので、先日観たばかりの「チキンとプラム」を挙げた。

イラン革命前、1958年のテヘランが舞台である。
当時のイランは親米寄りの世俗派が政権にあって近代化を目指していた。
映画で描かれるテヘランには、イスラム国独特の厳格な雰囲気はない。
「アルゴ」で描かれた世界とはまるっきりの別世界。
国が発展し豊かになりつつある途上にあると分かる。
平和で自由な空気に満ちている。

遊び心に富み可笑しみと可愛らしさ満載の映画である。
ペルシャ風の音楽や風景、挿絵なども実に凝っている。

そして、特筆すべき点であるが、この映画には美しい女性が登場するのである。
この女性を巡って主人公が経ることになる光と影が映画の主題であるが、男子であれば誰にでも心当たりある初恋の余韻に思わず浸って、光と影を追体験してしまうことになる。

ちょうどそのような初恋のようなものに差し掛かる中学生の頃合い、目の肥やしとしてそのような女性像に触れるのは悪い事ではないだろう。

虚構から学ぶことに何の意味があるのだと君は違和感持つかもしれないが、そのうち分かるだろう。

女性像そのものを紐解けば、その要素要素はどれもこれも虚構なのであり、虚構が寄り集まって、一つの像を結ぶようなものなのである。
実物そのものであれば、身も蓋もない野生のゴリラと瓜二つ。
洗練や人間性というものは元を辿れば、身に付けてきた虚構の取捨選択が実を結んでできた産物なのである。


そこに描かれたテヘランが1979年のイラン革命によって失われる存在であることを観る者は知っている。
だからこそ更に映画が美しく感じられるのかもしれない。

歴史学者の Niall Ferguson が指摘したように1979年はイラン革命のみならず世界全体が大きく変化する歴史の転換点であった。

急激な近代化による貧富の差が原因となりイラン革命が起こりイスラム原理主義者が勢力を拡大することになり、その動きに関連しソ連はアフガンに侵攻し自壊への道を進むことになり、その自壊に大きく影響することになるマーガレット・サッチャーがヨーロッパ初の首相に選ばれ、イラクではサダム・フセインが大統領に就任し、中国では鄧小平が前年の日本訪問に引き続きアメリカを訪れ改革開放路線に本格的に舵を切った。

一方、日本においては、ドラえもんの放送が始まり、ソニーウォークマンがヒットし、任天堂のインベーダゲームが空前の大流行となったのが1979年であった。

1979年に様々な種子がまかれ、30年以上を経てひとつの帰結をみたと言えるのだろう。

イスラム原理主義勢力の台頭、陰りが見え始めたアメリカ帝国、アメリカの向こうを張るくらいまでの大国となった中国、日没間近なのかどうなるニッポン。

人の真実に肉薄できるだけでなく、思考を促し世界の都市を空間的にも時間的にも横断できる。
映画はやはりためになる。

つづく